嫌なことも私の経験。「負けてたまるか」と一度の人生を強気に進む

生まれてこなければよかった。
今まで何度、そう思ったことだろう。
決して軽い気持ちからではない。
特に、人間関係でつらい経験をしてきた。
地元にいたときに受けたいじめ。
部活内での派閥や陰口による悩み。
そして、社会人になって受けたパワハラ。
近頃は、今までよりも気分が落ち込むことが増えた。
コロナ禍だからというのもあるのかもしれない。
負の感情が生まれやすくなってしまった。
最初に挙げた以外の、ちょっとしたことでも「何で自分はこうなんだろう」と嫌悪感を抱きやすくなった。
急に悲しくなって、涙を流すこともあった。
自分が生きている理由が分からなくなってしまう。
「いなくなれば明日から苦しまなくて済む」という考えが、毎日のように頭をよぎった。
その一方で「今を耐えればきっと幸せな日々が待っている」という期待もあった。
葛藤しながらも私は後者に賭けて、騙し騙し今日まで頑張ってくることができた。
「同じ人生は二度と経験できないんだよ。だから悔いのないように生きるんさ」
祖母は生前、心身が弱っている私を見るたびに、そう言いながら励ましてくれた。
今でもその言葉は、私を奮い立たせてくれる。
どんな困難に直面しても、グッと堪えて逃げずに立ち向かうことができる。
生きていればいいことがあるのだと信じて、困難とも自分自身とも闘う。
それでも、やはり気持ちが負けそうになる。
ほぼ無意識ではあるけれど、魔が差してしまいそうになる。
それでも踏みとどまることができているのは、周りの支えがあるからだと思う。
家族、友達、行きつけのお店……あまり会えない人も多いけれど、私はたくさんの人に救われている。
たまにLINEで連絡を取ったり、年賀状をやり取りしたりして、近況を伝え合う。
その中で、相手が奮闘していることがあると知ると、精一杯応援する。
幸せの便りをもらうと、まるで自分のことのように喜ぶ。
私は周りから幸せを、心の支えとなるものをもらっている。
人間に生まれる確率はあまり高くない。
どこかで、1億円の宝くじが100万回連続して当たるくらい奇跡的なことだと聞いたことがある。
それからもう一つ。
同じ人間に生まれ変わる確率はゼロ。
犬屋敷みちるとしての人生を送ることができるのは、今だけであって次はもうない。
いい思い出も嫌な思い出も、私の人生において起きたこと。
どちらも決して無駄なことなんかじゃない。
まだ20数年生きているだけの私。
すでに数えきれないほどの経験をしていて、たくさんのものを得た。
今まで乗り越えてきたことは、どれも必ず意味のあること。
大切な人たちと過ごした日々は、私の宝物。
ずっと残っていてほしいなと思う。
でも、残念ながらいつかは消えてなくなる。
人も含めて、生物は必ずこの世を去る。
それは曲げることのできない運命。
私との思い出を覚えていてくれる人も、いつかこの世を去ってしまう。
あんなに生きることに消極的だったのに、その事実をとても悲しく、恐ろしいものだと感じる。
こうなったら、残りの人生を思う存分楽しみたい。
「苦しい、つらい」と嘆くのではなく、「負けてたまるか」と強気で前に進みたい。
せめて生きている間だけでも、私は自分の人生で経験したすべてのことを心に刻んでおきたい。
絶対に忘れない。
最期に「ああ、いい人生だったな」と思えるように、悔いのない生き方をしたい。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。