「仕事は、どうせやるなら楽しくやるべき」
いつ、誰が言い出したのか、世の中にはそう言う人が多い。私の先輩たちもそうだし、私自身も、そう思う。
ただ、最近そうも言い切れなくなった。ふとした瞬間に、「楽しい」よりも、「大変だ」が上回っている自分に気づく。この現象は、何だろう。どうしたら、「大変だ」という気持ちが、軽くできるのだろう。日々、そんなことばかり考えている。今日も、考えてみたい。

◎          ◎

仕事の中で大変なことって、何だろう。そう考え始めると、山のようにある。
まず、だいたいの人は規則的なスケジュールだろうから、何があっても、同じ時間に、同じ場所に行っていなければならない。
「今日は、調子が出ないなあ」
「あのことを考えると、気が重い」
など、体調や気分は毎日違うものだ。それなのに、毎日ほぼ一定の行動をしているなんて、冷静に考えると、すごいことなのではないかと思ってしまう。それだけで、1日のエネルギーの大半はなくなっているのではなかろうか。
そして、仕事とは、目の前の相手のためにあるものだ。時に、無茶だと思うようなことも、相手のためならば、やらなければならない。そうして、身体的、精神的、時間的にも、余裕がなくなる。
社会人になって気づいた。仕事は、大変だ。だからこそ、それを笑い飛ばしていくのだと。
そして、それこそが、
「仕事は、どうせやるなら楽しくやるべき」
という知恵なのだと。

◎          ◎

しかし、そんなことは、誰も教えてくれない。
子どもの頃に、職業について考え、体験する機会があったけれど、その時は、興味のあることを調べてみようという程度で、「仕事とは、こういう姿勢でするものだ」なんて、考えたこともなかった。
試しに、中学生くらいの子どもに聞いてみたい。
「仕事って、どんなもの?」
どんな答えが返ってくるだろう。
ちなみに、私が中学生の頃には、
「人の役に立つこと」
というような内容の答えが多数だった。みんな、純粋。
でも、と思う。よく考えると、この「人の役に立つこと」という言葉は、不思議だと思う。
なぜなら、仕事とは、目の前の相手のためにあるものだから。
何にせよ、相手の望みを叶えるために仕事が生まれるのであって、すべては、人の役に立つのだ。だから、たとえ小さなことでも、直接人と関わらなくても、誰もが人の役に立つ仕事をしている。人のために働いている。
人のために働くというのは、大変なことだ。だからこそ、大変なことがあっても、笑い飛ばしていきましょう、という人が多いのだろう。
ただ、無理はできないというのが、今の私の思いだ。無理しているのに、それを笑い飛ばそうとすると、その気持ちは絶対に相手に伝わってしまう。そんな状態では、質の良い仕事など、できるはずがない。

◎          ◎

では、どうすれば無理せず、楽しんで仕事をできるのだろう。
人それぞれ、その答えは違うかもしれない。楽しい部分を見つけ出す、とか、大変さを共有できる話し相手を見つける、という、取り組み方への工夫は多い。どれも、私が先輩たちから学んだ大切な考え方だ。
「でも、『仕事は、どうせやるなら楽しんでやるべき』という考え方に疲れている人は、どうすればいいのだろう」
私はそう思った。ひねくれているけれど、心に浮かんだのだから仕方ない。
そして、ひらめいた。
「自分が心から楽しいと思うことを選べれば、楽しい時間が増えるのでは?」
そう、どうやるか、ではなく、何をするか、に発想を変えた。そのひとつで、自分が心から楽しいと思うことをする、というのも、キャリアの積み重ね方として、ありなのかもしれない。
多くの人が、「お給料をもらって、人のために働いているのだから、大変なことを、無理してでもやる」とか、「楽しくなくても、楽しむ」という考え方になりがちだ。
そこを、勇気を持って変えられたなら、仕事はもっと、楽しくなるような気がする。
そう言う私にも、まだ、何かを変えられる術はない。
ただ、若者がこんなことを思いつく夜もある、と知ってもらえるだけで、私は嬉しい。