不妊治療をしていた頃、私の腰は真っ青だった。理由はそう、毎日打っていた女性ホルモン補充の注射だ。
不妊治療には軽いものから重いものまであるが、血液検査の数値が悪かった私には飲み薬だけでは不充分で、注射の使用は避けて通ることができなかった。
位置はおへその横あたりで、医師に指示された手順を守りつつ、毎日決まった時間に自分で打つ。痛さや怖さはすぐに慣れたが、看護師でもない素人の技術では、皮下の内出血は避けられなかった。
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これは妊娠するために必要な作業。自分の価値を傷付けるものではない。理屈の上ではそう思っても、内出血で広範囲に変色した肌というのは、正直とても気持ちが悪い。
私自身でさえそう思うのだから、主人はなおさらだったはずで、セックスの回数は極端に減った。いや、皆無と言った方がいい。
不妊治療を始めて以降、私にとって精子というのは、愛されながら優しく注がれるものではなく、内診台の上で器具を使って人工的に注入されるものだった。
精子を子宮に迎えるという点は同じでも、セックスと人工授精ではまったく違う。
まず第一に器具は冷たい。強引に挿入されるのでとても痛い。処置の様子はカーテンで仕切られていて何も見えない。
今から15年ほど前、ある政治家が「女性は産む機械」と発言して問題になったが、私は処置のたびに「この扱いはまさしく産む機械だな」と思っていた。にも関わらず、内診室から出てくる女性は、みな何事もないような顔をしているので驚いてしまう。
いや、違う。本当は耐えているのだと思う。あんなのは治療という名の拷問だ。
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その後私は妊娠し、帝王切開で出産したので、ここでもまた新しい傷が増えた。それでも我が子を抱いた瞬間は、誇らしい気分でいっぱいだった。
私はもう、女ではなく母なのだから、身体の傷なんて気にしないんだ――。
その感情を否定するように、生後2か月半になったある日、息子はSIDS(乳幼児突然死症候群)で睡眠中に死んでしまった。翌朝私が気付いた時には、すでに時間がたっていたようで、彼の肌は細胞が壊死して濃い紫色になっていた。おぞましい姿だった。
肌が変色して気持ち悪い。だから抱けないし見たくない。そう言われたとしても、私には傷付く権利もなかったし、被害者ぶって涙を流す権利もなかったのだ。だって私は、青くなった息子の姿を見て、顔を背けてしまったのだから。
好きだからこそ、綺麗な姿でいて欲しかった。変わり果てた姿なんて見たくなかった。その点で、私も夫と同じだったと気付いたのは、離婚をつきつけられて一人になった後だった。息子を失った後、夫は出張へ出たまま音信不通になって、数か月後に郵送で離婚届が送られてきた。
私はもう、女として誰かに身体をさらす機会は永遠にないだろう。できるのはただ、残された傷を息子の代わりにゆっくり愛することだけだ。
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最後に、この4月にようやく不妊治療が保険適用となった。
これまで国は、不妊は病気ではないという建前のもと、保険適用を長らく認めてこなかったので、このことは非常に大きな前進と言えるだろう。不妊治療に取り組む女性の数は、この流れで確実に増えるはずだ。
ただ、技術が発達して高度な医療介入が可能になると、治療を受ける側の心身の負担も比例して大きくなるので、傷付いた女性に対するメンタルケアの必要性が今後さらに高まると思う。
身体の傷は、いつか必ず心の傷を生み出す。その傷とどう向き合うかは、人それぞれで模範解答のない問題だが、私のような経験者が情報を発信することで、少しでも悩んでいる女性の背中を押せればと願っている。