身体のことと言われて思うことは、私から絶対に切り離せない、幼少期から社会人1年目までのアトピー性皮膚炎と戦った長い苦悩だ。

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小さな時からいつも肌が荒れていた。毎週病院に行って、毎日薬を飲んでいたが、目に見えて回復することは大人になるまでほとんどなかった。
小学生の時は、関節や汗をかきやすい部位のほとんどに湿疹があった。だからプールに入るのが本当に嫌だった。同級生たちの悪気のない「どうしてそんな顔なの?」「どうしていつも掻いてるの?」という言葉にいつも傷ついた。女の子なのに可哀想、と言われるのが嫌で、男の子の着るような服を好んで着ていた。
中学生になると、もっと症状は悪化した。
何もしていないのに顔から皮が落ちて教科書が白くなるので、誰にも見られないように隠しながら、毎時間それをゴミ箱に捨てていた。給食で男の子と向き合って食べるのが苦痛だった。何か言われるわけではなくても、視線が顔に向いていることがわかった。
いつも痒さに耐えられず顔を掻いてしまうので、そのうちに眉毛やまつ毛がなくなり、私はいつでも涙目だった。今でもこの時の写真が一番見られない。
高校生になってからは重度な日は減ったが、花粉や気温によって酷くなることが多々あった。その度に、この先良くならなかったらどうしようと不安になった。

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大学以降はほとんど落ち着いていたが、社会人1年目、慣れない環境と多忙のせいか、今までで一番肌荒れが酷くなった。
乾燥して固くなってしまったところと、にきびや体液でただれたところがどちらもあって、どの薬を使ったらいいのかわからなかった。病院に行きたかった気持ちはあったが、引っ越して環境が変わった上、病院自体も多くはない土地だったし、何より幼少期から今までの自分の苦悩をまた一から話すのが苦痛で行けなかった。
仕事で人前に立たなければならない時、悩んだ末に上司に「人に見せられるような顔ではないので、マスクをさせて欲しい」と頼んだ。今のようにマスクをするのが当たり前ではなく、接客でマスクをする人はいない時だ。
しかし、「誰もあなたの顔なんて見ていないし、肌が荒れていたって見る人は気にしていない」と言われ、許可が降りなかった。気にしていないならマスクをさせてくれてもいいのに、気にしているのは私自身なのに、と行き場のない気持ちになった。私は毎日出勤するたびに顔を見られ、「今日は比較的調子がいいね」と言われたりもした。分かりづらい良心なのか、嫌がらせなのか、わからなかった。

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ある時は、あまり親しくない年配の女性に、「肌荒れはストレスのバロメーターなんだから、しっかり管理しないと」と言われたりもした。これは昨日今日のストレスや、頑張りではどうにもならないことを、私が一番知っているのに、管理できてないのが悪いと言われてるようで、悲しくなった。
その仕事からはしばらくして離れることになった。
仕事を辞めてしばらくすると、これまでの苦悩が嘘のように、みるみるアトピーは改善していった。ストレスがなくなったことよりも、年齢によるものが大きいように感じる。薬も飲まなくて良くなり、むしろ、肌が綺麗と褒められることが増えた。

ここまで思い返すと相当辛い思いをしたように感じるが、案外その当時楽しかったことの方が強く印象に残っている。初めから見た目にコンプレックスがあった私は、大人になってアトピーの影さえ感じなくなって今、とても自分の身体を愛せている。
もう気を張らなくていい、毎朝鏡を見て落ち込まなくていい。それだけで私にとっては充分なのだ。だからか、これから歳をとっていくことに対してもポジティブな気持ちでいられる。

そしてあの頃の私に伝えたい。そんな時でさえ、見かけではないところで私のことを見てくれて、近くにいてくれる人はいるということと、いつかアトピーに悩んでいたとは思えないくらいになる日がやってくるということ。
今は自信を持って、私は私の体を好きと言える。これからも自信を持って付き合っていける。