避妊教育と不妊教育

もう20年以上前だが、私が高校生だった頃、いわゆる避妊教育というものを徹底的に叩き込まれた。「性行為は互いの同意あってこそ」「イヤならはっきりと断りましょう」「行為をする際は必ず避妊具を使いましょう」など。

その身に新たな命を授かるのは、本来素晴らしいことではあるものの、望まぬ妊娠で母子が傷つくという悲しい事態は避けるべきだ。だから私は、避妊教育そのものには大いに賛成している。

34歳で開始した「不妊治療」は、想像以上に大変だった

ただ、我が人生を振り返るとどうだろう。その後高校と大学を卒業し、20代の間は仕事に専念した私だが、30歳を過ぎたタイミングで結婚して主婦になった。

精神的にも経済的にも安定し「そろそろ家庭を築きたい」という気持ちが芽生えたのだ。相手はかねてから交際していた男性で、結婚直後に1度妊娠したものの、胎児の心拍が確認できず12週で自然流産。それから2度目の妊娠がなかなか訪れず、夫婦で話し合った末34歳で不妊治療を開始した。

いざ始めてみると、噂には聞いていたものの、不妊治療は想像以上に大変だった。膣に器具を挿入される痛み。恥部をさらけ出す精神的屈辱。ホルモン投与の皮下注射と筋肉注射。薬の副作用による恐ろしいほどの吐き気。

そして、何よりつらいのは、“ゴールが見えない”という残酷な事実である。こうした苦痛をいくら耐え忍ぼうと、結果として妊娠できる保証は一切なく、時間とお金だけが目に見えて減っていく。私は文章を書くことを趣味としているが、生理が来るたびに心の底から絶望する、あの焦りは文字で表現できるものではない。

不妊治療から3年後、息子を授かって「出産」した。私は誇らしかった

その後3年ほど専門クリニックへ通院し、人工授精や体外受精などの治療をフルコースで受けた私は、37歳の時に息子を授かって出産した。我が子をこの腕に抱いた時、とても誇らしい気分だった。妊娠も出産も自分には縁のないものだと諦めていたのに、私のところへやって来てくれたこの子を、これから先何があっても全力で守るのだと胸に誓った。

それからわずか2か月半後、息子はSIDS(乳幼児突然死症候群)で他界した。愛する息子が、朝起きたら死んでいたのだ。全身の細胞が壊死し、紫色に変色して硬くなった身体は、明らかに生きた人間ではなかった。精神が崩壊するとは、まさにこのことだろうと思った。

それからちょうど1年後の冬、私は夫と離婚して独りになった。結婚前の交際期間も含めると20年の付き合いだったが、息子の死によって私達の今後の人生に対する認識はかけ離れてしまい、その亀裂はもはや修復できるものではなかったのだ。

しかし、今の私は不幸ではない。この主張は決して強がりの類ではなく、仕事も趣味も全力投球で、独りの人生を思いっきり楽しんでいる。長かった不妊治療は苦しい記憶に違いないが、その苦しみは私にとって捨ててしまいたいものではなく、ずっと両腕で抱き締めていたいキラキラとした想い出だ。帝王切開の切り跡も、ホルモン注射の打ちすぎで青くなった腰も、何もかもが誇りなのだ。

避妊教育は大切だ。それと同時に「不妊教育」も重視すべきだと思う

私は自分の人生に納得しているが、出産するのがもう少し早ければ、2人目や3人目を望めた可能性もあるのではないだろうか。今となってはもう遅すぎる話だが、高校時代の避妊教育が徹底していた故に「避妊具を使わずに性交すればすぐにでも妊娠するのだ」という強力な先入観が存在し、それが妊活を遅らせた一因でもある。

もちろん避妊教育は大切だし、さらに推進するべきだと思うが、男女ともに晩婚化が進む現在においては同時に不妊教育も重視する必要があるように感じられる。妊娠や出産は、女性にとって非常にプライベートな問題で、時にはそれが人生の重荷となってしまう場合もあるが、愛する人との間に新たな命を授かることは本来大きな喜びであるはずだ。

社会の仕組みは1人の努力で急に変えられるものではないが、妊娠の悲しみではなく妊娠の喜びが広がるように、今後もこういう機会があれば積極的に意見を発信していきたいと思う。