私はゆとり世代だ。
それが故に「あなたはゆとり世代だったからね」「ゆとりだからここの単元習ってないんでしょ」「ゆとりだから休みも多くて楽だっただろうね」などと言われてしまう。
私はなりたくてゆとり世代になったわけではない。習いたくなくて習わなかったのではない。休みたくて休んでいたわけではない。私が決めたわけでもないのに、楽をしただの、学びが浅いだの言われたくはない。
むしろ私はもっと幼い時に学んでいきたかった。
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大学生の頃に始めた塾のバイトでは、基本的に数学を担当していた。その時に、誤差や有効数字、ヒストグラムや箱ひげ図に四分位範囲、自分が習ってこなかった内容が次々と出てきた。
知らない……。知らないどころか聞いたこともないものもあった。教えなければならない立場なのに、名前すら知らない。困った。焦った。手が震えた。なんとか説明しなければとしどろもどろに話を進めた。
テキストの内容を必死に頭に入れながら、曖昧な知識のもと説明をする。生徒にも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。先生知らないの?といつ言われてもおかしくないと思った。手汗の量がすごくて、テキストが波打っていたことを今でも覚えている。
ゆとり世代だったことによる弊害だったと感じている。ゆとり世代に生まれなかったら、世間から「ゆとり世代だから」とさげずまれることも、塾の授業で焦ることもなかったに違いない。
しかし、ゆとり世代は弊害だけとは限らない。
なぜなら、ゆとり世代の人は活躍している人も多いからだ。私と同じ20代後半には、有名スポーツ選手も俳優もタレントもたくさんいる。学校での学びは多くなかったかもしれないが、上の世代ではなかった土日休みを利用して、他の部分に磨きをかけたり、自主的に他の観点で学ぼうとしたりする機会が多かったのではないだろうか。また、忙しすぎなかった分、勉強以外に挑戦できたことも多いのではないだろうか。
そんな私も土日休みだったこともあり、土曜日に習い事ができたし、好きな絵や折り紙、ピアノなどに時間をかけることもできた。文章を書く時間だってゆとり世代だったからこそ多く時間を取れたのかもしれない。
そう考えてみると、ゆとり世代だったことが悪いことばかりではなかったと感じる。
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世代によって、大きな世間としてのくくりでは特徴がある。一般的には、上の世代は就職難だったから努力してきた。ゆとり世代は全体的に主体性がない。Z世代は親和性が高い。などと言われているようだ。
でも、各世代で生きてきた人は、世代を選んだわけではない。選べるわけでもない。ただ、たまたまその世代に生まれたのだ。だからその世代にその人が流されていたかもわからない。
だから世代で決めつけるのは、違うと思う。上の世代だからゆとり世代だからZ世代だからと、世代によって確かに違う面はある。でも個人で見たら世代なんて関係ない。その人自身が歩んだ道は世代だからを理由に成り立つものではない。
だって1人の人の人生は、その人が築き上げてきた道なのだから。
上の世代の人が、「ゆとり世代だから」「Z世代だから」と偏見を持って話すのならば、私は世代で人を判断するのは違うと思います!とはっきり伝えたい。また、「私はゆとり世代だから」「私はZ世代だから」と世代を理由に言い訳をするのも違うと言いたい。
世代で人生が決まるわけではない。今からだって変われるはず。世代を理由にできないと決めつけてはいけない。
社会的に見たら世代によって風潮に違いはあるとは思うけれど、私はその世代の中でも、私は世代に関係なく、私の道を貫いて生きています、と胸を張って言いたい。