クラスの人に暴言を吐かれた。公園から指を差された。
ただそれだけの事で、私は本当に死のうとした。

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私が中学生だった頃、私の世界は中学校だけで行われていると思っていた。校内で行われたことが全てで、それで終わりだと本当に思っていた。
だからこそ、校内で思った通りにならなければ、この世の終わりかのように絶望し、傷ついていた。だからこそ、校内である程度発言できる権利を勝ち取らなければならないと思った。

ある時、発言権を失った。なにをしても自分の思い通りにならなくて、悔しかった。それよりももっと、クラスの人たちに悪口や陰口を言われて辛かった。
この世の終わりだと思っていた。閉鎖された義務教育の空間に、私の全視界を奪われていた。

大人たち、上の世代の人たちは助けてくれなかった。私の相談の仕方も良くなかったのだろうが、みんなの前で悲劇のヒロインぶるなと怒鳴りつけてきた教師もいた。
だからこそ酷く大人たち、上の世代の人たちに絶望し、大人になりたくないと思うようになった。大人になったら「こう」なってしまう。大人になったら、私が嫌いなものになってしまう、と。

そうしてぼろぼろになった私は、高校生になって色んな人と出会うことができた。楽しそうな大人とも出会えた。私のことを話したら、いつまで引きずってる方が相手の思うつぼじゃない?と真剣に考えてくれた先生にも出会った。
大学生になって、中学生の時、あんなに嫌いだった勉強を楽しんでできるようになった。学問は楽しいんだな、知ることができることはうれしいことなんだと、喜ぶことができた。

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今、中学生だった当時のことを考えれば、私がいじめられていたのは当たり前のことだと思う。
クラスの中で自分の思い通りにしてやろうみたいな考えの人と一緒にいたくない。そんなやつと友達になりたくもない。リーダーぶって前に立つ人間は、遊びたい盛りのやんちゃ坊主にはさぞかし邪魔だっただろう。嫌いな人に対してのスルースキルが中学生に備わっているはずがない。いじめられる方にも原因があるとは思ってはいないが、私に関しては半分ぐらいの原因は私だろう。

そもそも、200人弱いて嫌いな人が一人もいないなんてありえないし、全員と仲良くしましょうなんて無理だ。教師に関しても、今思えば心配してくれていた人たちもいたんだと理解できる。まあ、だとしてもあの地獄を作った原因はお前だ、とでも言われたら絶対に血管の音ぶちぶちにしてキレてしまうだろうな。

自分の世界は中学校だけで行われているなんてことはないし、校内で行われたことが全てなわけがない。クラスの人に暴言を吐かれた。公園から指を差された。ただそれだけの事で、死のうとするなんて馬鹿馬鹿しい。今なら、いい気分にはならないが、「まあ、そんなもんだよな」と思うことができる。

でもどうして、上の世代の人たちは教えてくれなかったんだろう。
人生はとても長いこと。その長い間にたくさんの人や物事と出会うこと。私を応援してくれる人と出会うこと。好きなものを好きと言っていいこと。世界はとても広くて、同じ場所だけで生きなくていいこと。逃げてもいいこと。やめてもいいこと。やめなくてもいいこと。もっと早くに気付けていれば、私はもっと早くに救われていただろう。

私より上の世代の人たち、聞いてください。
SNSじゃなくてリアルはもっと広いこと、教えてください。
上の世代の人たちが出会ってきた素晴らしい出会い、もっと教えてください。
大人の人生には大人の人生のいいところがあるってこと、希望があるってこと、もっと教えてください。
私たちが大人になるまで、大人になりたいと思わせてください。