私には親友がいた。趣味も合うし、習い事も一緒。家も近くて、毎日公園で遊んでいた。
今思えば、自己中心的だった私の性格とは真逆で、人のことを思いやれる、私には勿体ないくらいの心優しい親友だった。
2人とも漫画家になるのが夢で、共同で漫画を描いたり、はたまた絵を見せ合いっこしてはお互いに評論したりしていた。
この子は絵を職にするんだろうな、と子供ながらに思っており、私は親友のことを尊敬していた。

楽しそうな親友とうまくいかない私。いつしか疎遠になった

私は転勤族だったので、結局小学3年から5年の3年間だけしか関わらなかったけど、一緒に過ごした日々はずっと綺麗な思い出として残っている。
「手紙書くね」と、転校にありがちな約束もちゃんとした。何年かは続けたが、ついに私からやめてしまった。手紙の引き継ぎとしてLINEになったが、それも送らずにいた。というか、送れずにいた。
私は何度も転校していくうちに、思い出をリセットしないと頭が混乱してしまうようになり、自然と関係を切りたくなっていたのだ。また、手紙の内容からも彼女が楽しそうな学生生活を送っているのに対し、私は上手くいかないことが続き、劣等感を抱くようになった。
そんな自分勝手な理由から親友とは疎遠になり、高校生になった。

ある日、私の母親に親友の母親からLINEが届いた。
「○○(親友)です。この度母の○○が死去いたしました。生前はありがとうございました。」
親友の母親が病気で亡くなったのだ。よくお世話になっていたし、母親同士も仲が良かった。驚いたが、今住んでいる場所から葬式に行くのは難しく、LINEでメッセージを返すだけになってしまった。

親友を哀れんでいた。でも、彼女はずっと尊敬できる人のままだった

時が過ぎ、私は看護師になった。偶然にも就職した科が親友の母親が患った病気を受け入れている病棟ということもあり、私は親友の存在を思い出した。
「連絡してみようかな……」
その時、私は既に体調を崩し休職していたが、それは言わずにLINEでしばらくやり取りし、Instagramを交換することになった。
母親を亡くした悲しみで立ち直れていないんじゃないか、私だったら耐えられない、など、正直哀れむ気持ちが大きかった。そんな気持ちを抱かないと、連絡が出来ない自分にも哀れんだ。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に、親友のInstagramのbioにこう書いてあった。
「てきとーにいきてるよ!」
彼女は私の予想通り、絵を職にしていて、1人で立ち止まることなく、彼女曰くてきとーに生きていた。
苛立ちも、もどかしさも感じなかった。彼女ならそう生きているだろうと、どこかで確信していた。彼女は、小学生の頃から変わらず私の尊敬できる人のままだった。

小学生で彼女みたいな人と出会えたことを誇りに思う。生きること自体に執着せず、目の前の出来事を楽しめる。そんな生き方があることを彼女はInstagramのbioで教えてくれた。
私は彼女に休職していることを告げ、「私もてきとーにいきるね!!!」と伝えた。その心はずっと忘れたくない。