自分の胸の大きさを気にするようになったのは、小学校5年生の頃だったと思う。
周りより成長が早く、どんどん目立つようになっていく自分の胸が、私はずっと好きじゃなかった。
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特に嫌になったのは中学生時代。
胸のことに限らず、少しでも周りと違うことがあればからかわれる年頃。
思春期真っ只中の男の子達の中には、それだけを目的に告白してくる人もいたし、女の子からは「男好き」という偏見を持たれて、仲間はずれにされたこともある。
大人になってからはさすがに、見た目をからかわれたりすることはほとんどなくなったものの、胸が大きいというだけで偏見を持たれることは、相変わらず多かった。
「ビッチ」と事実無根の陰口を言われていたり、VネックのTシャツを着ただけで「誘ってる」と言われたり。
何も言われなくたって、歩いていたり、電車に乗っているだけで、男性からの性的な目線を感じて不快な思いをすることもある。
ここには書けないような、ひどい扱いを受けたこともあった。
「あれも、これも、全部この胸のせいだ」
そう思うと、自分の胸を好きになることなんて到底できなかった。
できる限り胸が小さく見えるような下着を選んだり、ダボダボのTシャツを着たりして、なんとか身体のラインを見えないようにしながらも、好きな服や、かわいい下着を着ることもできない自分が嫌だった。
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そんな考えが変わったきっかけは、転職先の会社の人たち。
少し日本離れした、海外のような社風の会社で、上司・部下はほとんどなく全員フラットに接したり、自分のデスクは決まっておらず、毎日オフィスの中の好きな場所で仕事をしたり。
中でもいちばん驚いたのは、社員全員が心から自分に自信を持っていて、自分のことが大好きなこと。「セックス・アンド・ザ・シティー」や「プリティー・ウーマン」などの映画の主人公達を想像していただければ大きくは相違ないと思う。
もちろん色んな体型の人がいて、モデルさんのような体型の人ばかりというわけじゃない。
ぽっちゃりの人もいれば、ガリガリと言われるほど細い人もいるし、身長が高い人もいれば、低い人もいる。
それでもみんな、相対的に判断される「きれいなこと」「かっこいいこと」ではなく、絶対的な「自分自身であること」に揺らがない自信があった。
体型のことなんか気にせず、好きな服を着て、堂々と歩く姿は、私にとってカルチャーショックだった。
それまでは、大嫌いな胸をどうしたら隠せるかばかり考えて服や下着を選んでいたけど、謂れのない偏見で勝手に自分を傷つけてくる人たちのことを気にしていた自分が、急にバカらしくなった。
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今私はもう、胸を潰すための下着なんかつけないし、着たい服を胸のせいで諦めることもない。
あえて胸が目立つような服を選ぶことはないものの、かわいいと思ったTシャツがVネックなら買うし、下品な印象がないものであれば、身体のラインが出る服も着るようになった。
何より、変な目で見てくる目線にも、謂れのない偏見にも、
「勝手に言ってろ」
と思えるようになった。
私は、ファッションだけじゃなく、心も自由になった。
大嫌いだった、大きい胸は私のチャームポイントになった。
きっと私の場合は胸の大きさだっただけで、見た目でさまざまな偏見を持たれて苦しんでいる人、そんな思いをする原因となる、自分の顔や身体が好きになれない人がたくさんいると思う。
でも、自分のことを好きじゃない人たちの心無い声を素直に聞いて、自分も自分のことが嫌いになってしまう必要なんてない。
自分だけは、自分の身体が大好きでいい。
コンプレックスもまとめて「そんな私もチャーミング!」って思ったらいい。
自分に自信がある人は、どんな美人より、スタイルのいい人より、きれいに見えると思うから。