私のスポーツのもやもやは、体育の授業だ。
私は、小学校、中学校、高校と学年が上がるにつれて、どんどん体育の授業が嫌いになっていった。
別に、運動が嫌いなわけではない。運動が得意かと訊かれれば、得意ではないとしか言いようがないような運動神経なのだが、好きか嫌いかで言えば、嫌いではない。
種目によっては好きと言ってもいいかもしれない。例えば、ただひたすらに走るのは好きだ。走っている時に感じる風が気持ちいい。決して速く走れるわけではないけれど、そんなのは関係ないと思える程度には、好きだ。少なくとも、身体を動かすことを楽しいと思う心はある。
だけど、体育の授業は嫌いなのだ。

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小学生の頃はまだ良かった。クラス皆でドッジボールをしたり、リレーの練習をしたりするのは結構白熱して楽しめた。
問題なのは中学に入ってからだ。体育の授業が、男女で分けられるようになったのだ。
しかも、男女で行う種目は別々。私はどうしても、それに納得がいかなかった。私は大抵、男子が取り組んでいる種目の方に興味があったのだ。
でも、私の中で一番もやもやしたのは、高校のダンスの授業だ。

私が通っていた高校では、通常の体育の時間の他に、ダンスと武道の授業があった。女子はダンスで、男子は武道(柔道か剣道を選択する)。でも、私はダンスではなく、剣道を習ってみたかった。

小説やマンガの中の剣士がカッコいいと思っていたし、一度竹刀を握ってみたいという気持ちもあった。それなのに、どうして女子というだけでダンスしか選択することが出来ないのか。

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私は、時間割を眺めながら、いつも疑問に思っていた。私の他にも、武道に興味がある女子がいるはずだし、ダンスに興味がある男子だっているはずだ。ダンスも武道も、性別によって制限があるスポーツではないはずなのに、と悲しくなった。

社会科の授業でSDGsだとか、男女平等だとかを教えておきながら、体育の授業カリキュラムがこれでは、話にならない。女子はダンス、男子は武道という性別のみでの振り分けは、正直安易だと思う。ダンスの授業も、社交ダンスに取り組んだのだが、その指導は「女性らしさ」を強調するものだったように思う。
だから、私は授業の度にもやもやとした気持ちを募らせていた。スポーツとは、本来楽しいもののはずだ。それなのに、頭に自分の性別が不必要なまでにちらついてしまって、純粋に身体を動かすことを楽しめなかった。

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あぁ、男子に生まれてたらなぁ、なんてことを考えたこともあった。そう考えた後は大抵、腹が立ってしょうがなかった。
「どうして、体育の授業でこんなことを考えなければいけないのか」と。
ありのままの自分で楽しむからこそ、スポーツなのだ。それなのに、体育の授業では、選択出来ない選択科目が「スポーツを楽しむ」ことの枷になっていた。それが、息苦しかった。

正直、高校を卒業して体育の授業から解放された今でも、このもやもやは残っている。だから私は、「性別」と「スポーツ」が必要ないところで結び付けられない社会を作っていきたいと思っている。