もし自分の身体を“クレーター”呼ばわりされたらどうだろうか。
きっと怒りが湧くだろう。なんでそんなことを言うんだと思うだろう。
私の場合は怒りと、そして絶望感に支配された。
それから私は、自分の身体が嫌いになった。
身体を“クレーター”呼ばわりされたのは高校の頃。身体のことで一番悩む年頃だろう。
私の身体のどの部分が“クレーター”呼ばわりされたかというと、胸だった。

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「胸がクレーター???」
そう疑問に思う人もいるだろう。
私も友達に初めてその言葉を言われたときに、理解ができなかった。
でも、その子の視線で理解した。
「あぁ、この子は自分の大きい胸を棚に上げて、自分よりも小さい胸を嘲笑っているのだ」と。

その子は誰もが羨むようなスタイルのいい子だった。
胸も大きくてくびれもあって、顔も小さい。
でもそのような容姿のせいで男子にからかわれたり、嫌なことを言われたり、妙な目で見られたりして傷ついたことがある子だった。

時々私はその子の相談にのった。
「下着のサイズが小さすぎて合うやつがない」
「みんな胸ばかりを見てくる」
「女子の中にドサクサに紛れて胸を触ってくる子がいる」
「胸が重いから猫背になる」
私には到底理解できない悩みではあったが、私も自分の身体に違和感を持つ年頃だったので、その子の力になれたらいいなと思い、話をずっと聞いていた。
すると、その子がこんなことを言い出した。

「あんたはいいよね。胸が“クレーター”だから悩む必要なくて」

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この子が使う“クレーター”は「胸が凹むほど無いに等しい」という意味だったらしい。それは本人の口から直接聞いた。
この言葉の意味を知った時、正直言ってブチ切れようかと思った。
何?胸を自慢するために相談してたわけ?
人を見下すためにそんなこと言ったの?無神経すぎない?
言いたいことは山程あったが、もしかしたら悪気はなかったのかと思い、その言葉をスルーした。
けれども“クレーター”呼ばわりは止まることがなく、相談の度に私の身体は貶されていった。

「私だって今より大きい胸の方がいいよ」
「胸が小さくても悩むことだってあるんだよ」
「私の胸を“クレーター”呼ばわりしないでほしい」

そう言えたらよかったのに、言えなかった。
私は自分の身体をますます嫌いになり、鏡で見ることもなくなった。
好きだった温泉にも行かなくなった。胸を教科書や参考書で隠すようになった。
でも私に相談をしてきたあの子は、胸を隠すこともなく堂々としていた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
良かれと思って相談にのったのに、馬鹿を見たのは私の方だった。

◎          ◎

今も私は自分の身体が嫌いだ。
胸は大きくないし、色白でもない。
太っているし、傷だってある。
今後もきっと自分の身体を愛することなんてきっとできないだろう。
今まで人に比べられ、否定された分だけ、私の身体は内側からボロボロになってしまったのだ。

自分の身体を愛せるようになるために、努力はしてきたつもりだ。
マッサージをしたり、ケアをしたり、運動したり、様々なことをしてきた。
でも鏡に映る自分を見ると、“クレーター”呼ばわりされたあの頃の記憶が蘇るのだ。

あの記憶を消し去る方法を誰か教えてくれないか?
深く傷つけられた心を、身体を治す方法を教えてくれないか?
自分の身体を愛する方法を、私に教えてくれないか?
誰でもいいから。

私は愛したい。愛したいのだ。
本当は自分の身体を。
ボロボロでもいい。気持ち悪くてもいいから、唯一無二の自分の身体を愛したい。
どうすればいいのか。どうすればよかったのか。
今の私には分からない。

でも、これだけは言える。

誰に何を言われようと、自分が何を考えようと、身体を大切にしてほしい。
十人十色。身体は人それぞれ違うのは当たり前だ。
それを区別し、見下す人のことなんか、忘れてやれ。
重荷を下ろし、軛を外し、ありのままの自分であれ。

私もいつか自分の身体を誇れるように、歩んでいきたい。