ジメジメした梅雨時期の天気予報に晴れマークがさしてきたかと思えば、あっという間に青天に入道雲が発達してよく映えている。毎年雲と空の境界線がくっきりして、よりふわふわに見えだすと、夏がやってきたなぁと実感する。
そんな夏を、私なりに楽しむポイントが2つある。

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私の実家はど田舎なので、夏の風景を楽しむには贅沢すぎる環境がととのっている。
田園には青々と成長期の稲穂が広がっていて、風がふけばさやさやとなめらかにそよぐので、それは寝転がりたくなる衝動に駆られる。
実際は外に出た瞬間、むわっと熱気に包まれ、青い草にダイブしてまもなく泥とカエルにまみれて泣く羽目になるのが分かっているので実行はしない。ついでに言えば、その後私が大の字に寝転んだ跡のついた稲穂をバックに農家さんに怒られる想像が浮かんだので、なおさらやめておこう。

とにかく、それだけ魅力的な風景をいちばん堪能できる方法がある。話していればよくぶつかる母とも、これだけは意見が一致する。
それは、「エアコンの効いている空間から鑑賞すること」である。
美しい生命をもたらす夏だが、その最大のデメリットは「気温」。暑い。暑くてなにも集中できない。特に近年の酷暑といったら打ち水にアイスで足りるわけがない。その暑さを打ち消した部屋の中、あるいは車の中で、コーヒーでも飲みながら思う存分夏を楽しむのだ。
インドアでも夏は楽しめる。そこがど田舎のいい所だとつくづく思う。

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2つ目のポイントは、特にドライブで海に行った時によくやる習慣にある。
一度海に行こうかなと方針が決まれば、一枚さらりとワンピースを着て、日焼け止めだけ塗ってほぼすっぴんのまま車に乗り込む。ドライブの時は好きな音楽をかけながら疾走感を味わうと、曲の魅力がひとまわり増したようでより楽しい。車のスピーカーが私好みの低音強化なのもポイントかもしれない。しかしポイント2の本題は、海を見ることなのだ。

目的地で空や大きな入道雲、遠く広く見える水平線すべてが見える地点を探しあて、サングラスを外して「ぼーっとする時間」に入る。これがポイントだ。
家にいるとつい本を読んだり動画を漁ったり、パソコンとにらめっこしてみたりと、時間を埋めようと無駄な努力をしてしまうので、夏を楽しむ休憩時間が短くなる。ひたすらに青く眩しい風景を前に「ぼーっとする」と、瞑想に近いとは言わないが、頭のなかでぶつぶつ考えていた事がひとつ帰着する点を見つけたように、もやもやした気持ちが一段落するのだ。

実際解決していなくても、「まぁなんとかなるか」とどうでも良くなることで、私の豆腐メンタルは生命を維持していると言っても過言ではない。毎年レジャーのために山や海に張り切って行く方に、もう一つ、「ほぼ何も持たずにぼーっとしに行く」ことをオススメしたい。本当に「夏休み」としておとなが休むには、脳みその開放感があればこそだと思うから。

この2つのポイントは、毎年特定の風景が見えるようになったら無意識にやってしまうくらい、自分の体に染み付いた夏限定セルフケア方法だ。