傷を受けてから、30年になるのも目前だ。ずっと書きたかったことだったけど、なかなか苦しく難しかった。
かがみよかがみに書いておきたい内容だと思うので、ようやく書ける。ありがとうございます。

胸や腕にある火傷の跡。服を脱がざるを得ないシーンが不安だった

私の身体には大きな傷がある。小さい時に火傷した。今でも、胸や腕には凹凸のある傷跡が広く残っている。
たくさん心も傷ついてきた。ジロジロ見る視線にも困った。手術も何回もした。でも、見た目がきれいにはならなかった。
美しいタトゥーを入れて傷を隠そうと、タトゥースタジオを予約した。しかしタトゥーの職人は、思ったような仕上がりにはなりませんよ、と淡々と言ったので諦めた。
何個もエピソードがあるが、またの機会に。

私の傷は幸い、長袖を着ていれば目立たない。プールのない学校に行き、なるべく大浴場には行かないようにして、真夏でもカーディガンを着て自分を守った。
困ったのは服を脱がざるを得ないシーンでのことだった。そういう年頃になったので不安が募り、「彼氏 火傷」「身体 傷 セックス」検索してみたりした。

数少ない結果は、「かわいければ気にならない」「萎える」「傷があるくらいで引かれるなら本当の関係ではない」というようなものだった。
私の欲しかった情報はなかった。同じ様な境遇の人がどうやってドラマチックな恋愛をしているか、それが知りたかったのに。私みたいな人、いないのかな。ケータイを閉じた。
そう思っていたら案外すんなりと初めての夜は来た。

自分の傷を「見せたい」と思う相手を慎重に選ぶようになった

案の定、「ここどうしたの?」と聞かれる。何も言えない。自分と付き合ってもらうのは申し訳ないと思えて、その後はうまくいかなかった。
そこからも何人かと機会があった気がする。外見から好きになってくれた人もいた。きれいな身体を期待されていると思うと、いつも服に隠れた火傷のあとのことが頭から離れない。
セックスするまでの恋愛は楽しいが、火傷についての打ち明け方に困っていた。

その一方で、最初のセックスの反応で、その人のことを本当に好きになれるか、試すようになった。
徐々にスムーズにセックスできるようになると、自分が恋することを許されている、と感じられた。傷のことは全然好きになれないが、セックスするのは好き。だんだんそう思うまでになった。

こうして火傷はいつしか、私の中で、役割を持つようになる。
私は自分の傷を「見せたい」と思える相手を選んだ。
裸を見せるのに抵抗感があるからこそ、慎重に相手を選ぶ。
私にとって、セックスとはコンプレックスの開示であった。だから、「見せられる」ではなく、「見せたい」と思うような相手がいれば、素敵なことだと考えた。今でも大事な基準になっている。
「見せたい」と思うのは、ほとんど親密になってから。一回限りで関係が終わることもあったが、納得してからしたので不幸なものではなかった。

「気にならない」に少しがっかり。私の経験はなかったことにならないから

はじまりは「ちょっと触ってほしい」と言って傷を触ってもらった。
2人だけで深い話をするような段階になったら、切り出してみる。
「私、身体に傷があって、服を脱げない。でも、もう君には見てほしいと思ってる。ちょっと触ってみてほしい」。断る人はいなかった。
私はあまり積極的ではないが、そう言っておくと主導権を取れる。「痛い?」と聞かれたら、「もう痛くないから、もっと」。自分に焦点をあてすぎるから、最近はもうしていないけれど、自分にとって負担がないやり方だった。

それから、「どう思う?」と聞いてみた。
反応で意外と多いのが「気にならないよ」。くよくよ気にすることじゃないと励ましてくれるのだが、結構がっかりする。
あなたが気にならなくても、私は火傷が気になっていて、苦労してきた。その経験はなかったことにならないから。
できれば、いつか「その傷に悩んだ経験こそがあなたを魅力的にしているよ」と言ってくれる人に出会いたい。この言葉がすっと出てくる人が、私にはまだいない。

どうやってもきれいに受け入れることはできないことを、どうにか小道具にして、なんとかやってきた。思えば考える時間はいっぱいあって、若さゆえに苦しかったのかもしれない。いつかこの時間が、報われるときが来ると信じている。

一人、布団の中、小さい液晶の画面を必死で見ていた私に、この記事が届いてほしい。
一人、布団の中、いつか理想のセックスを夢見る私に、これから夢みたいなことが起こってほしい。