私は胸が小さい。そんな話をするとこぞって「私も」「私の方が」「私だって盛ってるよ」など、自己否定と謙遜の言葉が列を作る。
小学校高学年頃から女子がこぞってソワソワする問題。それが自分の胸の成長だ。
5年生くらいで体育でバランスボールを使う授業があり、それとなく胸の周りを圧迫すると痛みを感じ、もしかしてこれは胸が成長を始める徴候ではないかと心が少し躍ったのを今でも覚えている。
私もいつかあの子みたいに成長して、あんな服やこんな服が着てみたい。そう密かに願っていた。
しかし、私の期待を裏切り、中学校に入っても、高校に入っても、10年以上たった今でも、寄せて谷間ができることはなかった。
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高校に入り、アメリカに留学した年の夏、とある結婚記念日パーティーに参加した。
ほとんど面識がない老夫婦のお祝いで、小さな(と言ってもアメリカサイズの)庭でケーキを食べたり、ドラマでよく見る赤いプラスチックカップにジュースを入れて乾杯した。そこで出会った2人の娘は20代半ばほどで、ちょうど今の私と同じくらいの年齢だった。
刺すような日差しの午後、パーティー用に少し着飾り、メイクもしていたその女性は、胸がなかったのに、サラッとしたキャミソールのみを着て、堂々と歩いていた。胸に丸みを確認することはできなかった。
彼女の格好を初めて目にした時、なぜそんなに自信を持って歩けるのか不思議でしょうがなかった。彼女はその場にその服を着て存在していることに全く悪びれている様子はなく、それがかなりのカルチャーショックとなった。もちろんいい意味で。
その後、それまでは身体のラインが隠れるような服ばかり着ていた私が、少しピッタリとした服を着るようになった。
思えばあの時は彼女がロールモデルになっていたのだと思う。
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しかし、日本に帰ってきてからしばらく経った現在。私は一生懸命某有名下着メーカーの“盛れるブラ”をつけ、一生懸命理想のスタイルになれるよう努力している。
自信がないのはもちろんだが、普通のファッションを楽しむためにも必須事項になっているのだ。
そんなふうにして自分の身体を少し偽り、後々見たら少し胸が強調されすぎているような写真をSNSに投稿してしまった。違和感にはしばらくして見直してから気づいたのだが、いつもの投稿よりもいいねの数が多くて、それがかなりショックだった。
あぁ、やっぱり胸なのかと。
最近では、ボティポジティブという言葉が日本に浸透しはじめたが、ほとんどがふくよかな女性をモデルにを起用してメッセージを伝えているものが多い。ネットを探してみても、日本では痩せ型で胸のない女性というジャンルのロールモデルがないのだ。ボディポジティブを謳うファッションブランドの着用画像でも、ある程度胸があるモデルしか起用されていない。
じゃあ私がロールモデルになりますなんて立候補はできないのだが、胸に曲線がなくても自分を偽ることなく堂々と歩ける世界になっていったらいいな、なんて考える日々を送っている。