スクールカーストのトップでない私は「華やかな私」を諦めていた
「誰がそんなの気にするの?」
心底不思議そうに私を見つめてそう言い放った彼女と、ハッとする私。
まさにこれが「私を変えたひとこと」である。
男勝りな性格ながら、可愛いものが好きだった。明るくて華やかなものにたまらなく憧れた。
でも、手は出さないと決めていた。
そういうものは、自信がある子が着るものだから。例えば、スクールカーストのトップ層みたいな。
そして、私は自分が”そういう子”ではないことを、学生生活を送る中でよくよくわかっていた。
だから、ほどほどに女の子らしいと思われるものを身にまとって、私にはこれくらいがちょうどいいんだ。そう思うことにした。
そうやって諦める方が、気が楽だったのだ。
胸が高鳴るドレスを諦めようとした私に友人が発した一言
そんな諦めを覚えてから、かれこれ数年が経った頃のこと。
私は交換留学生としてアメリカへ渡り、とある小さな田舎町にある大学で日々を過ごしていた。
ある日、「今度校内でハロウィンパーティーがあるから、ドレスアップしようよ!」という、友人からのお誘い。
そもそもパーティーなんて行ったことはない。大丈夫かな、と不安がよぎる一方で、頭に浮かんだのは、華やかなドレスに身を包んでパーティーを楽しむ女の子たちの姿。ドラマや映画で幾度となく見た光景だ。
気づいたら、「YES」と返事している私がいた。
私が憧れながらも諦め続けてきたものに、うっかり好奇心がうずいてしまったのである。
後日、彼女とともに訪れたのは、学校の近くにあったリサイクルショップ。
リサイクルショップと侮るなかれ、手頃な価格で意外とまともなものが手に入るのだ。
洋服や本、食器にクリスマス雑貨。
雑然と物が並ぶ店内を物色していると、ふと、目に飛び込んできたものがあった。
深紅のドレスだ。
丈は長めで、足首くらいまであるちょっとエレガントなデザイン。胸元にあしらわれた小ぶりの薔薇が、なんとも可愛らしい。
きゅん、と心が鳴る音がした。
ドレスと見つめあっている私に気づいた友人が「それ、可愛い!赤似合いそうだし、着てみなよ!」とハイテンションで寄ってきた。
憧れのかたまりを前に、胸が高鳴る。でも私は”こういうのを着られる子”じゃない。
ぐるぐると回る思考からぽろっとこぼれた一言は、「でも、赤なんて着たこと無いし…派手すぎるかなあ」という、まあなんとも情けないものだった。
それを聞いた友人が発したのが、冒頭の一言である。
「誰がそんなの気にするの?」
「私が着たい服」は私が私らしくいられる自信をくれた
好きなものを着ればいいじゃん、一体なにを迷ってるの?と
あまりに不思議で、もはやちょっと可笑しいといった表情。
自分はこういう服を着るのにふさわしくない、自分には似合わない。
そうやって遠ざけてきたけれど、別に誰にも言われたわけじゃなかった。
自分だけがずっと、自分自身にそう声をかけ続けてきたんだ。
…なんて、ばかばかしい話なんだろう。
「そうだね…誰も気にしないね。」と言うと
「そうでしょう?ほら、着てみなよ!」とそのドレスを差し出してくれた。
いざ試着してみると、意外にもドレスはしっくり私の体に馴染んで、まるで元から自分のものだったみたいな顔をしていた。
それがなんだか可笑しくて、1人試着室で笑ってしまった。
この出来事があってから、私のクローゼットはがらりと変わっていった。
「私でも着られる服」じゃなくて「私が着たい服」が並んでいる、そんなクローゼットから服を選ぶのは、前よりもずっと楽しいし
心から好きな服を身にまとうことは、私に私らしくいるための自信をくれる。
あの一言がなかったら、たぶん今こうして好きな服を着る楽しみを味わうことはできていなかったから。
殻を破る勇気をくれて、ありがとう。そう彼女に伝えたい。