世の中は不平等だと思う。
人は皆平等、個性は十人十色と言いながら成績を付けて、順位を出すのだから。
ずっと嫌だった、体育という科目について話そうと思う。

部活をしていた私はスポーツではなく、「体育」が嫌いだ

体育が嫌な理由は2つある。
1つ目は、苦手なスポーツを無理矢理やる必要があるからだ。
前提として、スポーツが嫌いな訳ではない。
中学・高校は運動部で6年間活動していた。ちなみに卓球部。
走り込みも筋トレも嫌いだったけど、卓球は好きだった。
中学から始めた割には上達して、団体戦では県大会にも出場できた。
私はスポーツが嫌いな訳ではないのだ。
「体育」が嫌いなのだ。

スポーツをするにおいて、順位がつくことは仕方がないことだとは思う。
順位が付くからこそ、甲子園を見て球児の姿をまぶしく思ったり、オリンピックを見て世界中の人が同じスポーツを極めている姿に感動させられるのは確かなことだから。
でもそれは、自分がやることを「選んだ」競技だから良いのだと思う。
極めたい・挑戦したいと思ったからこそ、そのスポーツをやっているはず。
体育のように、学生生活において無理矢理やらされているものではないのだから。

苦手な種目をがんばっても、記録が悪ければ評価が下がってしまう

今まで体育の授業が好きだと思ったことはない。
バレーボールは腕に変なあざができて痛かった。
マット運動では後転が上手くできなくて、首がむち打ちになった。
25m泳げないから、水泳の授業がある日は雨が降りますようにと毎回願っていた。
1000mも走る持久走、脇腹がキリキリするから走りたくなかった。

もちろん、学校の中で座っているだけが授業ではないと思う。
体を動かすこと、友達と協力してチームスポーツを成し遂げること。
全部大切な経験ではある。
ただ、無理矢理体育という科目に閉じ込めて、やりたくもないスポーツをするのはどうなのかと思う。
もっと、選択制を導入するべきだと思う。
スポーツって楽しいな、仲間と協力して成功すると嬉しいな、という感情を、自分で選べるようにしてほしい。
苦手な種目を頑張って取り組んでも、記録が良くないと評価が下がる仕組みは今すぐやめてほしい。
真面目にやるだけバカバカしく思えてしまうからね。

寒い東北で、着込んではいけない決まりだった体操着

そして、苦手な理由2つ目。体育着が嫌だから。
体育をするにあたって、時計やピアスなど危ないものを外しましょうと言われるのはわかる。
ただ、自前のジャージを着てはいけない理由がわからない。
私は運動部だったので部ジャー、いわゆる部活動で作ったジャージがあった。
運動部の部活動用なんだから、動きやすいし機能性もある。
なのになぜ、体育の時間は同じジャージを着るように言うのだろうか。
同じジャージを着るメリットが全く分からない。
せいぜい野外活動の時に一体感が生まれるくらいなのでは、と思う。

そして1番意味がわからないのが、冬の体育で着こんではいけないというきまり。
私の中学校だけだったのかもしれないが、長袖のジャージの下は指定の半袖のみというきまりがあった。
ヒートテックはぎりぎりセーフだったが、私服はアウト。
教師に首元からシャツが見えていると言われ怒られている子がいたが、冬の東北でヒートテックと半袖しか中に着れない仕組みの方がおかしいと思う。

更にもう1つおまけで言うと、冬に「さむ~い!」って言いながら絶対半ズボンしか履かない女子。
長ズボンをわざわざ購入してるんだから、寒いって言うなら長ズボンを履こうか、と思ってしまった。

このように、体育の授業があると考えただけで色々と憂鬱だった学生時代だった。
だから、あんまり体育が好きではない。
1番好きな科目は?と聞かれて「体育!」と純粋に答えられる友達が羨ましかった。
体育という科目の在り方が、もう少し変わりますように。
同じ思いをしたことのある、真面目だけど体育が苦手な人達に届きますように。