中学3年生の時、体育が嫌いな科目になった。
小学生の頃から苦手とかだったらまだわかる。しかし、中学3年生で体育が嫌いになるというのはなかなか珍しいだろう。私でも思う。
私は元々、文化系の部活に所属している人間にしては運動神経がいい方だった。集団スポーツは少し苦手だが、個人種目は割と得意。自主的に運動はしないが、基本的にスポーツが好き。ちなみに、一番好きなスポーツは鬼ごっこ。鬼ごっこはスポーツではないと言う人がもしかしたらいるかもしれないが、実はスポーツ鬼ごっこという競技がある。後で調べてみてほしい。

という長ったらしい前置きはここまでで、ここからが本題。
前置きから少しわかるように、私は走ることが好きだった。と言っても、喘息持ちなので短距離しか得意ではなかったが。しかし、私は短距離走のせいで体育が嫌いになってしまったのだ。

◎          ◎

4月。最初の体育の授業と言えば、やはり50m走だ。運動会のリレー選手を決める大事な時期。私は中学1年生から唯一の非運動部所属の代表リレー選手だった。万年学年6位ではあったが、その年も代表リレー選手入りは目指していた。
私たちの学年は何故か毎年学年が上がるたびに体育教師が入れ替わっており、その年も例外ではなかった。同じ区内のO中学校を定年退職し、嘱託教師として赴任してきたというY先生。顔だけ見ると、そこら辺にいる定年間近のサラリーマン然としていたが、体つきは体育教師そのものといったちぐはぐな人間だったことを覚えている。

1番最初の授業は、さっそく50m走のタイム測定だった。
出席番号順に2人1組のペアになり、ペアごとに走る。私は2番目のペアだった。
よーい、ドン!
合図とともに走り出し、ペアの子との距離を広げていく。よし、今回も大丈夫そうだな。無事に走り終え、Y先生の方を向く。
「惜しいなぁ、稲荷」
私は耳を疑った。
「惜しいって何ですか?」
「タイムだよ。8秒ピッタリ。あとちょっとで7秒台だったのに。稲荷にはがっかりした」
タイムへのショックより、私の実力を否定された悲しさが大きかった。少なくとも初対面の人間に対して「がっかりした」は無いだろ。
8.00。それは私の自己ベストタイムを更新した瞬間だった。しかし、Y先生にとっては「残念なタイム」なのであった。
私はひどく幻滅した。
何でそんな言葉を簡単に言えてしまうの?
今まで何年体育教師やってきたの?
様々な疑問と共に、悔しさが募ってくる感覚がそこにはあった。
その後、無事に3年連続代表リレー選手入りを果たしたが、全く嬉しくなかった。

Y先生はまぁ、かなりひどい先生だった。
冬の12分間走で喘息で倒れた時には、「たかが息切れで保健室なんか行くな。そんなところで倒れていると迷惑だ」と無理やり最後まで授業に参加させられた。マット運動で一人だけ倒立ができなかった際は、泣くまでやらされた。
このような経緯があり、私は中学3年生にしてやっと運動嫌いになってしまったのである。

◎          ◎

記録を出す。追い詰める。これが体育の授業なのだろうか。
スポーツが得意な子がいれば苦手な子がいる。ドッジボールでボールをよけることが得意な子がいれば、ボールを投げることが得意な子がいる。体の使い方は人それぞれだ。50mを8秒で走れる子と7秒で走れる子、それぞれ体の使い方が異なるだけである。そこに「残念」も何もない。
スポーツの価値は記録のような絶対評価ではなく、スポーツを行う上での楽しさや体の動かし方を考える思考力。そういった過程にあるのではないか。
教師の評価によって、スポーツへの意欲が奪われるようなことは、生徒のその後の価値を歪めるものになるのではないだろうか。

Y先生には、がっかりした。