「あなたの座右の銘はなんですか?」
遡ること10年前。高校入試。手に汗握る人生の分岐点。試験官に問われた私を含めた5人の中学生は息をのんだ。
散々練習してきた問いのひとつだ。いつも通りに答えればいいだけ。そう思っていたが、私の頭に浮かんだのは、今まで繰り返し口にしてきた四字熟語ではなく、あるアーティストの本に綴られていた言葉だった。
「では次の方、どうぞ」
私の番だ。ゆっくりと息を吸い、覚悟を決める。
「はい、私の座右の銘は――」

◎          ◎

その言葉に出会ったのは中学2年生のとき。
10歳年上の姉が結婚を機に家を出ることになり、部屋の整理を手伝っている時だった。
インパクトのある表紙。奇抜というか、個性的というか、ある一冊の本を手にとった。
「ねぇ、お姉ちゃん。この本なに?誰の本?」
私の問いかけに、姉は一瞬だけこちらに視線を移すと、段ボールに荷物を詰めながら懐かしそうに言葉を紡いだ。
「あー、それね。好きなアーティストなんだよね。19って言ってもお前の年じゃあんまり分からないかな?『あの紙ヒコーキ くもり空わって』とか」
その答えに首を傾げる私。
「うーん、お姉ちゃんがたまに鼻歌うたってるやつ?」
分かるような分からないような、曖昧な答えを更に姉に返す。
「あー、そうかもね。そのメンバーにナカムラミツルって人がいてさ。その人のイラストとか詩が好きなんだよね。欲しかったらあげるよ、その本。私いなくなったら寂しいだろうから」
ふふっと笑いながら姉が私に視線を合わせる。
寂しいのは確かだ。喧嘩もあまりしたことがなく、嬉しいことも悲しいことも正直に話せる家族なのだから。
その姉が明日から遠い土地へと嫁いでいく。まだ実感がわかないのは、今まで共に過ごしてきた時間があまりにも濃かったからだろう。
「え?いいの?大事にする!部屋に飾るわ!」
私の言葉に姉は更に顔を緩める。寂しさを隠すように笑っているのは、きっと姉も同じだったのではないだろうか。

◎          ◎

片付けも一通り終わり、ついに姉が出発する朝が来た。
「元気でやれよ。ばあちゃんとお父さんのこと、あんまり困らせるなよ〜」
満面の笑みを私に向ける姉。それに対して、笑みではなく涙で答える私。
「わかってるよ!いつまでもガキ扱いしないでよー!」
はいはい、と子供をあやすように私の言葉をかわす姉は、ゆっくり車に乗り、実家をあとにした。
遠くなる車、見えなくなる姉の姿。めでたいことなのに、切なさと悲しさでいっぱいだった。
「そうだ、あの本、ゆっくり読もう」
そこで開いたその本の中で、私が今後の人生で座右の銘とする言葉に出会った。

「強いあなたも好きだけど、弱いあなたを愛してる」

その言葉を目にした瞬間、涙が出た。
別れに寂しさが溢れた日。思春期を過ごす中での葛藤。決まらない将来、見えないビジョン。不安の中で生きていた私の心に、温かい手が差し伸べられたような瞬間であった。

「はい、私の座右の銘は、アーティストであるナカムラミツルさんの本に記されていた、強いあなたも好きだけど、弱いあなたを愛してる、という言葉です。どんな状況でも、必ず傍で見ていてくれる人がいる。弱さを見せられるような人に巡り会いたいと思うと共に、誰かの弱さを受け入れられるような人間になりたいと思わせてくれた言葉です」

高校入試で堂々と言えた。嘘偽りない私の言葉。この言葉は私の座右の銘。それはこれからも変わることはない。
弱い私を、どうか見ていてください。愛溢れるこの世界に生まれたこと、幸せだと思えるように。