思い出に残っている、中3の時の担任の先生

私は小中高と担任の先生を好きになれたことがほとんどない。
なぜかといえば明確な理由はないけれど、どうしても先生に心を開けなかったのだ。
だけど中学3年生の時の担任だけは心から大好きだった。

中3の担任は当時まだ20代で若かったけど、よくいる若くてイケメンの人気教師とかでは全くなく、いつもジャージでふんぞり返ってがははって笑うようなTHE体育会系の先生だ。
声が大きくてうるさいし、よくふざけるし、休み時間には面倒見がいいのかしつこいのか大人しい男子を追いかけまわしてる姿を今でも思い出す。
だらしないけど熱血で生徒思いで、生徒と近い距離で接してくれる先生に何度も元気づけられた。

苦手だった徒競走、ホームルームでの先生の一言

小中学生の頃は足が遅いことが一番のコンプレックスだった。
小学生のころから一番嫌いな行事は50m走、なぜかいつも10秒台で毎年春頃行われる体力測定なるものが憂鬱で仕方なかった。
「『なんで速く走れないんだろう?みんな走ってるとこ見ないでよ恥ずかしい!なんで足の速さなんて測らなきゃいけないんだ』」って毎年思ってた。
たかが走ることって思うかもしれない。でも友達関係に敏感なあの頃の私にとっては、足が遅くて笑われるのが本当に苦痛だった。
中学の体育祭ではクラスの全員で繋ぐリレーがあって、クラスで一番足が遅い私はみんなの迷惑になってしまうんじゃないかって毎年プレッシャーを感じてた。

ある日の体育祭練習後のホームルームで、先生が話してくれた言葉が心に残っている。 

「足が遅いことなんて気にしなくていい。一生懸命やることが一番。彩は歌が得意なんだから合唱祭でみんなの力になる。お前らは合唱祭で彩に引っ張ってもらうんだから、今は支える番だ」

この言葉に本当に救われた。クラスのみんなも先生の言葉をもちろんわかっていると言わんばかりの顔で素直に受け取っていて、一人じゃないんだって、頼っていいのだと心が軽くなった。
苦手なことにもせいいっぱい取り組もうと思えた瞬間だった。本番のリレー、私がバトンを渡すのはクラス1足が速い男子。先生のうるさいくらいの応援の声が聞こえてきて、風が本当に気持ちよくて、なにも心配することなく走り終えた。
後から母に
「走ってるときすごいニコニコしてた」
って言われて少し恥ずかしかった。

好きなことで誰かの力になれればと思うようになった

その後の合唱祭、それまでは歌を歌うことは大好きだけどそれはただの趣味であって、それでみんなの力になれる、みんなに必要とされるなんて思っても見みなかった。
好きなことで役に立てるってなんて幸せなんだろう。
歌が得意なことを認めてくれて、クラスの中心になってみんなを引っ張ってあげられる力をつけさせてもらえた。合唱祭では皆のために頑張ろうって思えたし、リーダー的な存在になろうと自分を変えられた。

今でも、苦手なこと、辛いことにくじけそうになった時はこの先生の言葉を思い出して前向きに頑張れている。
好きなことで誰かの力になれたらと思って、高校では軽音同好会で勇気づけられるような歌を歌ったり、今はイラストを描いて大好きな活動者さんに想いを伝えたり、中学の頃の経験がこうして今につながっているのだと思う。
これから社会に出てからも、仕事でもプライベートでも自分らしく人の役に立ちたい。