ありがとう。
「かがみよかがみ」を教えてくれた高校からの先輩。
「エッセイ、投稿してみたら」と後押ししてくれた、社会人の先輩。
「かおりんのエッセイを読んでいると、エッセイを読み上げるかおりんの声が不思議と聞こえてくる」と、私の文章を褒めてくれる大親友。
「かおりんが紡ぎだす言葉が昔から好きだった」と言ってくれる恋人。
私のエッセイが「かがみよかがみ」に掲載されていることを知っているのは、片手で数えられるほどの、数少ない周囲の人たちだけ。私の大切な人たちだ。

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世間一般的には「えっ、ちょっと極端すぎない?」と思われるようなことを書いているのかもしれない。
私は、女性と男性が、さらには性別という垣根を超えて、全ての人々が平等に扱われるべきだと思うから、同性婚にも、選択的夫婦別姓にも賛成している。
愛した人の戸籍がたまたま異性であれば、婚姻制度の恩恵を受けることができるというのは悲しいから。
異性愛カップルにおいて、男性だけが「大黒柱」という責任を負う必要はないと思うし、プロポーズは男がしなきゃいけないなんて時代遅れだと思う。
給料3か月分のダイヤモンドが光る婚約指輪は、男性の財力と所有欲の表れでしかない。なぜ女性だけ婚約指輪をつけるのか、と疑問でしかない。
他方、女性が「子どもを生まなければならない」という責任を感じる必要もない。
自由と選択は与えられるべきだから。
「口うるさいフェミニスト女だなぁ」と思われるような内容もあるかもしれない。
それでも、私が紡ぎだす言葉の全てを受け止めてくれる、私の大切な人たちのおかげで、「かがみすと」としての「かおりん」が存在している。心からの感謝を伝えたい。

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大学生の頃から、いつかコピーライターになりたいと思っていた。
元々文章を書くことはとても好きだから。
今の仕事ではキャッチコピーを考えることや、人の心に響くような文章を書くことはあまりないけれど、いつか副業や趣味感覚でもいいから、「コピーライター」や「コラムニスト」の「かおりん」として活動したいと思っていた。
だから、「かがみすと」になったことで、私の夢が少しだけ叶った。
「かがみよかがみ」に投稿する前から、細々と、私が伝えたいことを書き留める感覚で、数人だけがフォローしているようなブログを書いていた。
嫌なことがあって、気持ちが消化不良になるときや、「世の中って不平等だ」と不甲斐なさを感じるときや、幸せを感じて「この一瞬を記録に残しておきたい」と思うときに、私の言葉で表現することで、その一瞬の感情を忘れないようにしようと、書き留めていた。

「かがみよかがみ」という、インターネット上に大公開されているメディアに投稿しようと思った動機は次のとおり。
身体だけの関係、浮気、一夜限りの過ち。
人には言えないような体験も、隠したくなるような思い出も、「悪女」だと言われそうな出来事も、私を知らない誰かにとって、「他人から“悪女”認定されそうなことでも、堂々と胸張っていればいいんだ。それも自分の一部なんだ」と、ふと心が救われるのであれば、私のストーリーを赤裸々に伝えたいと思った。
どんな経験だって、私達の人生の糧になる。どんな経験だって胸を張っていいと思うから。
私が「不公平だ」と思う、現代社会に対する不満も、体感している女性としての「生きづらさ」も、私を知らない誰かが共感を感じるものであれば、「おかしいよ」と叫びたいこの気持ちを伝えたいと思った。
苦しかった恋愛も、泣きじゃくった恋愛も、上手くいかなかった遠距離恋愛も、私を知らない誰かにとって「恋愛って儚くて苦しくて、それでも好き」と次への一歩を踏み出そうと思うきっかけになるなら、私の失恋ストーリーも、世の中に公開する価値があると思った。

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私たち人間は、実は、一人では生きていけない。
一人暮らしもできるし、世の中に溢れる娯楽コンテンツを見て笑って楽しむこともできるし、一人で食欲と性欲を満たすこともできる。
だけれど、「自分は一人ではない」という感覚が消えると、私たちは強烈な孤独感に襲われる。
自分と似たような経験をしている人は、自分の周りにはいないのかもしれない。
「自分は普通じゃないのかな」と疎外感を感じてしまうとき、家族や友人にさえ理解されていないと感じてしまうとき、名も知らない誰かが書いた、だけれど、心の声が聞こえるエッセイに1つでも出会い、共感出来たら、少しだけ孤独感がなくなる気がする。

だから、私は今日もエッセイを書いている。
最後まで読んでくれたあなたへ。ありがとう。
私たちはこの広い空の下でつながっているよ。一人じゃない。