私には大好きな1冊の本がある。くどうれいん著の『うたうおばけ』という本である。
この本は私と同世代のくどうれいんさんが、人をテーマに執筆したエッセイ集である。
図書館で目を引かれた本。「うたおばけ」のタイトルが突き刺さった
私とこの本との出合いは約1年半前に遡る。
当時の私は仕事にやる気も見いだせず、恋愛も上手くいかず、家族との関係もなんだかぎこちなく、どんよりとした平凡な毎日を過ごしていた。
そんな私にも楽しみが1つあった。それは仕事終わりに地元の市立図書館に足を運ぶことだった。
乗換駅を降りて、図書館まで約10分の道のりを、仕事のことや考え事をしながらひとり歩く。家路につく途中にある乗換駅が市立図書館の最寄り駅だったので、あまり選びすぎると帰りが大変だからしっかり吟味して本を借りて帰ろう、と思っているのに毎回2冊ほど多く借りてしまって、通勤カバンに加え約5冊の本を持つ帰り道はとても大変だった。
だけどほんのり幸福感に包まれながら、借りたてほやほやの本を電車の中で読む、この時間がとても好きだった。
今日はどんな本を借りよう、とふらり返却口近くの新刊コーナーを立ち寄ってみると、目を引かれる本が1冊あった。
「“うたうおばけ”ってなんだ???」
それは本の表紙やタイトルに惹かれて本を選びがちな私にとすん、と突き刺さるようなタイトルだった。
表紙の絵もとてもかわいいし、本の帯ごとラミネートされていたその本の帯に『人生はドラマではないが、シーンは急に来る』という一文に一目惚れして私はその本を借りることを決めた。
約2時間で読破したエッセイ。あっという間にはまった彼女の世界観
どんな内容か確認せずに借りた私は中身が気になって、電車に乗り込んですぐにそのページを捲った。
失恋して喪服を着てラーメン屋にやってくる彼女の友達や、れいんさんに暗号を使ってでしか告白をすることが出来ない男の子、「二重の虹が出た」という報告を内線で受けてほっこりする上司など、れいんさんを取り巻く人々の物語がたくさん詰まったエッセイ集だった。
彼女の紡ぐ文章がとても面白くて、エッセイの登場人物にほっこりして、失恋した話には胸が苦しくなって、自分もこんな学生時代あったよなあと懐かしくて、ページを捲る手が止まらず、約2時間で読破した。読了後もお気に入りの章を読み返してしまうほど、私はあっという間にれいんさんの世界にはまってしまった。
『うたうおばけ』のあとがきの冒頭、『生活は死ぬまで続く長い実話。そう思うと、どんな些細なことでも書き留めておきたくなります。わたしの生活の手応えはいつもだれかとの会話にあって、日記を書いてばかりいる十代でした』の一文が私の胸に強く響いた。
れいんさんのエッセイはこれが実話?!と思うくらい、登場人物も強烈で個性的でとてもドラマチックだった。けれど、それは私の人生にも個性的な登場人物はたくさんいるし、目を向けていなかっただけで些細な事でも書き留めていけば私の日常もドラマだと思えるということに気が付けた。
彼女のエッセイを通して、少しだけ自分の人生も、自分も好きになれた
今の鬱屈とした毎日も、自分の感じた小さなことも、書き留めてみると面白い物語になるのかもしれない。そして私はかがみよかがみで自分の今までの後悔やモヤモヤを投稿してみよう、とワードを開いて1年前初めてエッセイを投稿したのだった。
きっと彼女の本に出合っていなければエッセイを書いてみようとも、自分の代わり映えのしない平凡な日常も、私を取り巻く人達のことも大切にしようとも思えていなかった。
彼女のおかげで私は少しだけ自分の人生も自分のことも好きになれた気がした。
それから、『うたうおばけ』は私の愛読書となり、何度も読み返せるようにと書店ですぐに購入した。仕事や人間関係に疲れたとき、何もかも投げやりになりそうな気持ちをぐっと押し込めるためにれいんさんのエッセイを読んで、自分の日常も、私を取り巻く人達も、大切にしていこうと改めて思い直す。
「よし、いま私は私の人生を歩いてる。このドラマの主人公は私だ」
昨年の夏、れいんさんに自分の感想を綴ったハガキを送ると、なんとお返事が来た。お返事には私からの感想がとても嬉しかったこと、私が盛岡に行ったことがないと書くとぜひ一度来てみてほしいことが書かれていた。すごくすごく嬉しくて、1枚のハガキは私の宝物になった。
『うたうおばけ』とこのハガキを手に、いつか盛岡に足を運んで、直接れいんさんに感想を伝えたい。その日まで私はこれからも自分の日常を書き留めていきたい。