「私、機械になったみたいなんです」
ボロボロと勝手にこぼれ落ちる涙を止めることができなくて、誰もいない会議室で一人うなだれたあの日からちょうど3か月。
2か月間の休職期間を経て、私が今感じていることをここに書き留めておきたい。
それは突然のことだった。
これまで当たり前に行ってきた業務に、全く手がつかなくなった。
今思えばその片鱗はあったのかもしれないが、日々残業続きの毎日だったこともあり、仕事が終われば速攻で風呂に入り、まるで崩れ落ちるように眠り、夢の中でも仕事に追われ、また朝を迎えれば働く。そんな毎日の中で、自分自身の心と向き合う時間が無くなっていた。
はっきりと、なぜその時だったのかはわからない。でも突然、思ったのだ。
「私は毎日こんなに働いて、一体何者になりたいのだろう」
考え始めたら止まらなくなって、風船みたいに膨らんで、私の脳みそを完全停止させた。
停止した脳みそは再起動せず、会議中にいきなり涙が止まらなくなった時、初めてその異常さに気が付いた。
「こなす」人になっていく自分から目をそらし続けてきた事実
はじめて上司にそのことを話したとき、私は言った。
「私、機械になったみたいなんです」
その言葉は、当時の私の感情のすべてだった。
大学時代、広告業界を夢見て、やっとの思いでこの会社に入った。
当たり前だができないことだらけの日々の中で、正直リアリティショックも大きかった。
それでも前向きに頑張ってきたつもりだったのに、全然わからない。
私は今何がしたいのだろう。私、どこに立ってるんだろう。どこかで間違えたんだろうか。
日々の業務に飲み込まれ、「こなす人」になっていく自分から目をそらし続けてきた事実に、たった今はっきりと気づいてしまったのだ。
どうしよう。どうしたらいい?
もうすぐ3年目を迎える1月末、私は会社を休職した。
仕事の全てから解放されて、何もない、何も起こらない日々が始まった。
朝起きて、白い天井を見つめる。
ごめんなさい。私は心の中で何度もつぶやいた。
仕事に穴をあけた、という罪悪感。
頑張れなかったという自分への、圧倒的な嫌悪感。
私はもう、このまま働けないのだろうかという不安。
ただただ、怖かった。1日中何も食べず、誰ともしゃべらず、何もしないで過ごした日は、とてつもない虚しさに襲われた。
休職中尊敬するコピーライターに言われた一言を一生忘れない
その後病院からのアドバイスもあり、自分自身がなぜこのような環境に陥ってしまったのか、今後どうすべきなのかなど、たくさん考えた。
趣味の時間を過ごしながら自分自身について考える時間をもつことで、これまでできていなかった「自分と向き合う」時間が増えた。そして徐々にではあるものの心は回復を迎え、3月末に無事復帰を果たすことができた。
休職中、心から尊敬しているコピーライターに言われた一言がある。
「前向きに歩けば、前に進むよ」
私はその言葉を目にしたとき、明らかに心がすっと軽くなるのを感じた。
この言葉を、一生忘れないと思う。
知らぬ間に、何者かになろうとしていた自分がいて、何者にもなれない自分をただただ責め続けていた自分がいた。
でも、復職して、休んでいる間私の仕事を引き継いでくれたチームのメンバーから再度、仕事が戻ってきたとき、これまで大きな勘違いをしていたと気づいた。
私はこれまで、「私なんかいなくても、チームは回る。私である意味はない」と思っていた。
だからこそ、私が一体どんな存在であるのかということに悩んできたのだ。
確かに、私がいなくてもチームは回る。それは当たり前のことだ。当たり前すぎる。
私って、私だったんだ。これまでは気づけなかった存在
そして、仕事としての「結果」は、やる人が違ったとしても同じになることもある。
しかし、それに至るまでの「方法」はどうだ。私が2年間試行錯誤して築いてきた人間関係や仕事の仕方は、私だけのものでしかない。それを求めてくれていた人が、確かにいたのだ、と、復職をして気づくことができた。
「あなただから、任せたい」そう言ってくれる人がいたことに、これまでは気づけなかった。私って、私だったんだ。
世の中は、頑張る人であふれている。
何か明確な目標をもって、絶え間なく努力する人だけが輝いて見える時もある。
でも私は、これからも自分の人生を進めていく中で、目標や夢が変わって、そのたびに迷ったり悩んだりすると思う。そして、時には立ち止まってもいい。
もしどこが光かわからないときは、とりあえず前向きに歩いてみよう。
もし頑張れなくなったら、倒れる前に誰かを頼ろう。
何かに急かされて、何者かになろうとしていた自分は、もういない。