「部活、なにやってたの?」
私はこの質問が大嫌いだ。
「中学校は合唱部でした。高校大学では何もしていません」
「そうなんだ」
「そうなんだ」の後ろには見えない「笑」が隠れている。全員ではないが、運動部の経験がないと見下してくる人は一定数いる。
「中学校は合唱部でした。(1ヶ月で辞めたけど)高校は弓道部で、(幽霊部員だけど)大学では居合道部に所属していました」
ほら、こう言うと全然印象が違う。全てが嘘ではない。高校・大学時代に部活動へ割いたリソースが少ないだけだ。
繰り返し繰り返し、他者にも自分にも、部活に所属していたと言い聞かせる。すると、口から出た言葉が事実になる。夏休みの部活が終わったあと、仲間たちとコンビニで食べた溶けかけのアイス。暗くなるまで不安を語り合った寒く狭い冬の部室。相手に話を合わせる。どこかから借りてきたイメージが頭の中で再生され、私を運動部に所属していた人間にしてくれる。

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運動部に所属していた方がいい、と最初にはっきり言われたのは大学3年生の時だった。キャリアセンターの相談員は、私のエントリーシートをじっくり見まわし、
「『学生時代の部活』の欄ですが、運動部の経験はありませんか?」
と言った。ひいい、そんな経験はない。
「(1ヶ月で辞めたけど)高校は弓道部で、(幽霊部員だけど)大学では居合道部に所属していました」
なんとか絞り出すと、相談員は「それはいいですね」とにっこり笑った。

体育会系が面接官に好印象らしい、というのは、あらゆる就活サイトに書いてあった。
実際、面接ではよく聞かれた。大学までの運動経験など、仕事に全く関係なさそうなのに。毎日定時に出社し、残業にも耐えられる体力があれば十分ではないか?と頭では思っていた。
しかし、大して頑張ってもいない部活動について、口は熱く語ってくれた。繰り返すようだが、少し盛っているだけで、嘘ではない。私は内定さえもらえればよかったし、企業側も就活生に本当のことなど教えたりしない。
社会に出てからは、面倒ごとを避けたくてスポーツに親しんでいるふりをした。運動部でなければ部活ではない、という社会全体に漂う雰囲気。私はそれを上手く利用しているだけだ。

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言い訳をさせて欲しい。大学の時は、勉強に集中したかった。親が学費を払い、自分でも奨学金という借金を抱え、大学生という肩書きを手に入れた。少しも学びもらしたくない、と思った。
体験入部をして、断りきれず入部届に名前を書いてしまった。半年くらいは居合道部に通ったが、授業の課題についていけなくなりそうで足が遠のいた。
高校の時は、弓道部の過剰なまでの年功序列に辟易した。数ヶ月しか年の変わらない私たちに対して、年下だからというだけの理由で先輩たちが残酷な言動をとることに強い違和感を覚えた。それを当たり前だと思って受け入れる同級生にも馴染めなかった。何より、1年経てば自分も同じように後輩を虐めることに喜びを見出しそうで怖かった。
中学校で所属していた合唱部は、過去に全国大会に出場したこともある、歴史ある部活だった。当然練習は厳しく、悔し泣きしたことは数え切れない。
私は真剣に部活に取り組んだ。根性だって、礼儀正しさだって、身に着けたと思う。そこに運動部か文化部かのちがいなどない、そう思ってきた。

リアルな私よりも、運動部に所属した架空の私の方がウケる。必死で学んだ日々も、抗えない違和感に従った自分も、運動部に所属していた過去より評価は劣る。本来の自分を伝えて、否定されることにこれ以上傷つきたくない。
運動部の経験があろうとなかろうと、私自身の弱さが、架空の私を必要としていることは自覚している。本当に運動部に所属していたら、等身大の自分を受け入れる強さを持てたのかもしれない、と思うこともある。もう遅いけれど。
生身のままで生きることに疲れてしまった。本来の自分は、自分自身の言葉に塗りつぶされて、跡形もない。