SNSでも履歴書でも、自己紹介で何かしらのスポーツ経験を書く人は一定数存在する。
特に、履歴書でスポーツ経験の事実が分かれば、体力がある、協調性がある、といった好印象が少なからずあるのは間違いない。

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「スポーツしかやってこなかったから」
書いている本人にとっては悪気のない、ありのままの感情なのは分かる。
だが私は、学生時代にスポーツ経験がある人に対して一瞬で壁を作ってしまう。
心の中で。なぜだろう。
その理由は「スポーツ=青春時代を謳歌した人」というイメージがあるからだ。

自分を表す枠にひとつでもその「スポーツ」を書けること自体が、羨ましい。
個人的な偏見かもしれないが、特に学生時代のスポーツはひとりでは成り立たないからだ。
中学校や高校生活で仲間とひたすら体育会の部活動に明け暮れる、青春ドラマや漫画にありがちなストーリー。

私自身、そんなベタな学生生活に憧れていた。
小学校時代、外が暗くなるまで毎日ドッチボールや公園の遊具で遊ぶのが大好きな子供だった。
この後の人生がスポーツ恐怖症になる人生に変化するとは思ってもいなかった。

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中学入学とともに部活を決めることになった。陸上部への入部を決めていたが、足が速い人の入部が決定した、との情報に尻込みして、文化系の部活動に急遽変更した。

その選択によって、今までの生活習慣がガラッと変わった。
外で身体を動かすという時間は無くなり、唯一運動するのは週に1回の体育の時間だけになった。
当然、身体は重くて思うように動かない。
走ることが好きだったはずなのに、長距離も短距離もタイムは日を追うごとに最遅記録を更新。
テニスは、距離感が掴めずに空振り続き。バスケットボールやバレーボールは、上手く相手にボールを渡せない、チーム戦で常に足を引っ張る存在になっていた。
私ってスポーツ出来ない人だったんだ、と初めて知った。

そんな私を横目に、体育会系の部活動に入っている同級生は、とっても生き生きしていた。
毎日の部活とは違うスポーツで、改めて身体を動かす楽しさを発見したり、人間関係が構築されすぎている部活仲間との共有時間でさらに親睦を深めていたり。
部活動の選択次第で、こんなにも毎日の生活に影響が出るのか、と落ち込み、誰にも言えないもやもやとなって悩み続けた。

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その後も、いろいろな理由が重なって、スポーツとは無縁の人生が続いている。
過去に戻って、部活動を通して学生としての青春の日々を過ごしたいと願っても、叶えることは不可能だ。

これからも「スポーツ」以外で自分を表すしかない、と悲観的になる自分を突き詰めてみる。
「スポーツ」の経験がある人に抵抗があるのは、自分の経験と比べているからだ。
文化系の部活動に入部したことにより、身体を動かす時間を自ら減らしてしまったこと。スポーツが苦手だという事実を知ってしまったこと。部活動が学生生活を左右するといっても過言ではなかったこと。

結論、スポーツが出来る運動神経、環境、人間関係、その人の人生そのものに‘‘ないものねだり”を感じていたんだなと腑に落ちた。

「食べず嫌い」という言葉があるように、スポーツの経験がなく、知らないからこそマイナスのイメージを持ってしまっているのかもしれないとも思った。

大人になった今だからこそ、趣味として始める。まずは、スポーツを経験してみるのが唯一の方法だ。
ゴルフ、テニス、何歳になっても新しく始められるスポーツはある。
「実は今、このスポーツを始めていて……」と会話の中で話すことが出来たら、スポーツ経験者への壁はなくなっているのではないか。
いつか、そのスポーツ経験を「教えて!」と聞ける自分になれることを期待して。