21歳の冬、私は歩みを止めた。心がひりつくような事実を、自分の為に、ここに書いておこうと思う。
大学から始めた弓道。他の部員が上達していく中で私は1番下手だった
私は大学1年の時から今まで、大学の体育会弓道部に所属していた。「目標は勝つこと」。それがすべての部活で、初心者で始めた者も経験者の者も、勝ちを目標に、練習に励んでいた。
私はなぜか、人よりも上達が確実に遅かった。同期がどんどん上手くなり、自己新記録をたたき出している中、自分は全部員の中で1番下手で、1番記録が低かった。
それでも、同期が皆良い人だったという事や、せっかく自分で選んだ道だから諦めたくないというプライドが動機となって、私は意気消沈しつつも、部活に行き続けた。毎日毎日、道場への道のりを、負の感情でいっぱいになりながら歩き続けた。
そうして2年生となり、後輩が入ってきた。自分よりはるかに上達が早い子たちばかりで、私はすぐに抜かされた。それでも、努力していればいつかは、自分も皆の様に結果を出せるのではないかと、淡い希望を捨てずに、なんとか道場までの道を歩み続けた。
3年になり就活も部活も上手くいかず、自信喪失し、他人の不幸を願った
そして、3年生になった。コロナウイルスが流行する中、自分のやりたい事が定まらないまま、就活が始まった。インターンシップの書類選考で落とされ続け、自信をなくした。
新しく入部してきた1年生は皆、ずば抜けて弓道の上達が早く、すぐに抜かされた。「お前には何の才能もないのだ」と言われている様な気がした。
私は自信を喪失し、他人の不幸を願う様になった。そしてどんどん卑屈になり、努力する事を無駄だとわらう様になった。道場に向いていた私の足は、だんだんと歩みを遅くしていった。
心のどこかで分かっていた。今何か、決定的に心にダメージを受ける事が起こったら、私は壊れてしまう、と。
兆しは見えていた。躁鬱状態が交互に訪れ、夜中に自分の体に爪を立てたり、尖ったもので腕に痕をつけたりする事が多くなった。痛みという決定的なものを感じないと、生きている事を実感する事が出来なかった。
まとまらない、どろどろした汚い感情を全てSNSに書き出し、人に見える場所に吐露する事で心の均衡を保っていた。自分の事なんて誰も理解できない、そう思いながらも、誰かに自分を認めて欲しかった。自分は価値のある人間だと思いたかったのだ。
努力しても報われないと気付いた時には、私はもう頑張れなかった
「努力していれば、必ず成果は出るよ」。何十回も言われた言葉だった。それを信じて、21歳まで歩みを止めなかった。
そんな風に悶々と、答えの出ない問いについて悩み続けている時に私は、最愛の存在である犬が癌を患っているという告知を受けた。どうしてうちの子が。どうして私がこんな思いをしなくてはいけないのか。
そんな思いが次から次へと頭を駆け巡り、気付いた時には、生きる事への活力を完全に喪失し、遮光カーテンを閉めた部屋のベッドで一人、うずくまっていた。もう、頑張れなかった。
私は、それまで騙し騙し、一筋の望みだけを信じて踏み出してきた足を止めた。私は部活に行かなくなった。私は再び、歩めるようになるのだろうか。今は分からない。