私は体育会系やスポーツに嫌悪感がある。
理由は、私が2度も運動部を辞めているから。
私自身辞めているから単純に劣等感を感じるし、群れていてこわい印象だから、体育会系の集まりを見るともやもやする。
特に高校時代、県内でも有数の強豪校だったとある部活の集団は、いつも一緒にいてコソコソ何かを話したり食堂の縄張りがあったりして、独特の雰囲気を醸し出していた。結構、こわかった。

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私が運動部を辞めた1回目は中学の部活。理由はいじめ。
中学の部活選びの時、運動部しばりの両親の指令に従い、入りたかった文化部を諦め入部した。
運動部しばりの理由は「体育会系に入れば、この先どんなことでも耐えられる」から。
しかし、運動音痴なうえそもそもスポーツに興味がなく、モチベーションを保つのが難しかった。
3年生が引退した夏頃から2年生を筆頭にいじめられるようになった。
いじめられてまで、好きでもないことに生活を捧げる意味はない。
時間は貴重だ。毎日吐き気を催しながら登校して泣きながら帰るより、自分のやりたいことを気持ち良くやりたい。
いじめられて4ヶ月で退部し、晴れて入りたかった文化部へ入部できた。

退部2回目は、大学のマネージャー。理由は、部員と合わなかったから。
みんなで同じ授業をとり、いかに授業に出ずに単位を取るかを考え、昼休みもトイレも登下校もいつも一緒に過ごす気質のメンバーに馴染めなかった。
そして、入部後に知ったことだが、体育会系で生き残るには実家の財力が大きく左右する。
半年で数万円の部費、遠征費、合宿、正装のスーツ、毎年新調される正装の夏ジャージ、正装の冬ジャージなど固定費にプラスして、試合の打ち上げやら遠征時の食事代(家から持参派だったけれど、いつ食べれるかわからないので現地購入が必須)、仲を深めるために大切な支出である遠征前後でみんなでダラダラ過ごすご飯代や飲み会代など細々とかかる。
かつての私の公立高校の部活と比較してかかる金額は莫大で、そのギャップに卒倒しそうだった。

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私の大学でも、多くの体育会系が幼稚園〜高校からの内部進学生ばかりの集団だった。
“アルバイトは社会勉強のため”に月に数回行い、家族から手渡されるクレジットカードと数万円のお小遣いを持ち歩き、ブランド服とブランドバッグとブランドアクセサリーとブランドシューズ、昼休みは外食か学食。
ここまでじゃなくても、高い服を着て、お小遣い生活でお弁当の持参経験がないのは基本。
私が、お気に入りのメイソンジャーのお弁当を食べていると、なぜ買わないのか笑われる始末(1食平均500円〜1100円、20日続けたとしたらアルバイト生活の私にはそれだけで目の回る額なのに!)。
第一志望に落ちた私は、アルバイトも勉強も遊びも部活もおしゃれも全部やりたかった。
だけど、私が本気になって緊張感を持ってマネージャーをしても、手を抜きながら練習するやる気のないサボり魔の部員たちやマネージャー同士の悪口、アルバイトがあるのに突然始まるたむろするだけの内容のないミーティングに時間をとられることや、金銭感覚の違いに耐えられず一年で退部した。
2回目の退部で、自分の弱い心に悲しくなった。
しかし、本当に心をメッタ刺しにされるのは3年後だった。

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就活において、未だに体育会系には根強いコネが存在している(私の知り合いでも、籍だけ置いてほとんど練習に行っていなかったのに大手企業から内定を獲得している人はたくさんいた)。
そして、体育会系は無条件に書類選考は通過する。
誰に聞いても、書類は100%通ったとのことだ。
その後は面接対策よりコネ作りが重要だったらしい。
体育会系じゃない私だって、運動もしていたし、インターンも、勉強も、人脈作りも、海外でのボランティア活動も、そしてお金のためにアルバイトも頑張ってきた。
せっかくの大学生、自分の将来のために必要だと思うことをやりつつ、好きなこと
もやっていると、「軸がなくて何をやりたいのかわからない」と言われてしまう。

スポーツってそんなにオフィスワークに強いんですか?
家族からの支援やお金がないと続けられないスポーツで書類選考通過、っていう基準なんですか?財力や育ちでも見ているんですか?
結局はお金持ちが体育会系から大手企業に入って年功序列でお金持ちになり、そしてその子供たちがまた体育会系に入ってその後お金持ちになるという循環なのではないか、と信じて疑わないひねくれた就活生だった。
おそらく半分以上は偏見だろう。本当にごめんなさい。

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今でも正直、スポーツができれば社会に受け入れられるのは小学生までではなかったのか!と、誰にもぶつけられない気持ちを抱えてもやもやしている。
もちろん体育会系全員がお金持ちで、サボリ魔で、バラ色スクールライフを楽しんできたわけではないことはわかる。
諦めたこともたくさんあるだろうし、怪我したり病気になったり、体と心に鞭打って炎天下や極寒や花粉にまみれて練習に行ったり、理不尽なことに耐えたり、私じゃ想像つかない大変なこともたっくさんあっただろう。
しかし私の場合、何かうまくいかなくて心が折れそうになったり、大手企業に落ちたりするたび、両親の「体育会系に入ればこの先どんなことでも耐えられる」という言葉が頭の中でしつこく響き渡る。
だから、体育会系の集団を校内で見かけたり就活でのエピソードを聞くたびに、だから私はだめなのかと悲しくなる。劣等感を感じる。もやもやする。
だけど、体育会系の人たちを尊敬している。多くを諦めてコンスタントに努力し、相当なストレスに耐えてきただろう。私自身、心優しい体育会系の人たちにたくさん出会い、彼らに刺激されて頑張ってきたことも多々ある。
だけど、私は毒親のたった一言の発言でひねくれ、苦しみ続けている。これからも親の発言にとらわれるのは嫌だ。
体育会系じゃなくても沢山のことに耐えて、幸せになれたよって、親じゃなくて自分に言えるようになりたい。
だから、体育会系のこわい思い出や、就活とスポーツの関係のもやもやを解消していきたい。
そうすることで、私の暗い過去を手放すことになると思うから。