自分は体育会系の部活のノリについていけない、と気づいたのは、高校一年生のバレンタインデーだった。
所属していた部活は運動部ではなかったけれど、運動部並みの拘束時間とチームワークを要求する、立派な体育会系だった。

「手作りのお菓子」の強要は、どうやら体育会系では一般的のようで

「バレンタインデー、男女関係なく全員手作りのお菓子持ってきてね」
高校一年生の年が明けてすぐ、先輩部員からこんな通達があった。
私は、この先輩は正気か、と思った。
二月は忙しい。春の大会に向けて練習が立て込むし、そのあとすぐにある期末テストの勉強もしないといけないのだ。だから、申し訳ないとは思いながらも、私は友チョコをお徳用パックのお菓子で済ませようと思っていた。

「代々みんな、徹夜して作るんだよね」
先輩たちはみんなどこか楽しそうだった。同級生の部員たちも、やっぱり手作りですよね、なんて笑っていて、友チョコは徹夜してまで作るものでもないだろう、とはさすがに言えなかった。
この忙しい時期に手作りすることを疑問に思う人が今までにいなかったことが、私には不思議だった。

ほかの部のバレンタイン事情を聞いていると、どうやらこれは体育会系特有の現象のようだった。びっくりしたのは男子運動部で、女子のマネージャーが数十人分のお菓子を作ってきれいにラッピングして配るらしい。女子の運動部も、全員が手作りのお菓子を持ってきて交換する文化があるらしかった。
その文化とやらを当たり前のように受け入れているところを見ると、どうやら体育会系としては一般的なことなのだと実感した。

部の先輩も同級生も人としては好きだけど、部活の居心地は…

その時、すとんと腑に落ちたのは、私は体育会系のノリについていけない、ということだ。
部の先輩も同級生も、人間としてはすごくいい人。なのに、部活の居心地はいまひとつよくない。なんか、波長が合わない気がする。
気のせい気のせい、嫌いじゃないんだからなんとなく合わせておけばいい、と思っていても、どうも輪に入りきれない感じが気持ち悪かった。友達としてなら仲良くできるのに、部員としてはどうもしっくりこないのは、自分が悪いのか、と悩んでいた。

けれど、自分はこのノリが得意でない、と納得して、すっきりした。と同時に、無理に合わせるのは辞めよう、と思った。
高校一年生の、このバレンタイン以降、私は必要以上に部員と一緒にいるのをやめた。部活は一生懸命やるけれど、部活以外で一緒に遊びに行くことはしない。バレンタインもイベントとして参加するけれど、既製品のお菓子にちょっと飾り付けてラッピングしてお茶を濁す。

大バッシングを受けるかと思ったけれど、「あいつはそういうやつだ」と思われてしまえばこちらのもの。許すというより諦めるに近かったけれど、苦笑いして受け入れてくれた部員には感謝している。

青春!みたいな楽しみ方はできなくても、私はそれで満足できていた

体育会系のノリにはついていけなかったし、「青春!」みたいな部活の楽しみ方はできなかったけれど、私はそれでよかった。自分から輪の中にいることをやめると、不思議なもので疎外感から解放される。部員はいい人で好きなのにどうして一緒にいて楽しめないのか悩まなくてよくなるし、部員との個人的な付き合いはあきらめなくて済む。

私がわがままを通したせいかは知らないけれど、一つ下の学年にも、二つ下にも、部の活動はしたいし部員は好きだけど、ノリにはついていけない、と独自の参加方法を模索する人がいた。一つ下の代の部長さんから、「バレンタインは手作りをやめて、お菓子パーティすることにしたんですよ」と晴れやかに報告されたとき、私はとてもうれしかった。