選挙速報が流れるテレビを背景に、誕生日前日を迎える。
これを書き始めたのは7月10日23時。

「かがみよかがみ」には、1度だけ投稿させて頂いた。
本当はもっと投稿したかったのだけれど、書くという行為まで自分の気持ちを昇華できなかった。
29歳までの投稿資格。1992年7月12日生まれの私は、あと1日だけ投稿する資格がある。

今回筆を執ったのは、選挙結果を受けてだった。
数日前に元首相が銃撃されるという事件も起こり、日本の安全性が問われるなかでの選挙。
予想されていた通り、自民党が過半数の議席を獲得した。
これで、増税や改憲、インボイス制度の導入は促進され、同性婚・夫婦別姓など婚姻に関することの柔軟性は失われるであろう。これが彼らの主張してきた政策だ。

私は学生時代、アナキストに憧れていた。無政府主義者、誰にも自由を侵害されない生き方がやたらと格好良く感じた。選挙には行っていたし、政治批判もしていたが、どこかで「政治とは関係のない自分」を演じていたように思う。はみ出た存在でいたかったのだ。
しかし今感じるのは、国自体の「無政府」っぷりだ。こんなことでは、アナキストがまったく「はみ出た」存在にならない。むしろ今、30を前にして未来のこと=未来に繋がる今の政治や社会のことを考えるようになった。

後輩に後処理をさせないために

私は独身で、子どももいない。でも、周りには子持ちの同級生が増えた。
SNSにアップされる、小さな子どもの手を見る度に、この子たちの未来を少しでも生きやすい社会にしたいという気持ちが膨らむ。
自分さえよければ、とは思えない。この小さな子どもたちが大人になったとき、「今は君たちが頑張れ」と説教をしながら、自分たちの責任から逃れるような年寄りにはなりたくない。

私はこの「君たちが頑張れ」を言われて、結婚する気も子どもを産む気もなくなってしまった。頑張るのなら、こんな政治の国では子育ては無理だと思ったからだ。次の世代に引き渡せるような世界だとはとても思えない。「子育て」という人生のなかでも大きなイベントを遂行しながら、これまで上の世代が溜めてきたゴミを掃除しつつ、世の中を良い方向へ変えていこうと発信する体力はきっとない。そんなに器用ではないのだ。
だからこそ、我々が残したものに対する後処理に追われることなく、自分たちの生活や暮らしだけに集中して生きられる社会を、後輩たち、今の子どもたちに残してあげたいと思っている。

政治をタブーにした教育

18歳に選挙権の年齢が引き下げられた。大人扱いをしているように見えて、これも一つ、大人が責任逃れをし、「君たちが頑張りな」と下の世代に責任を押し付けているようにしか見えない。
もちろん、しっかりと政治について学んでいて、判断能力があるということであれば構わないのだが、どう考えても政治には無関心、保守派が良いと感じている方が多いように見受けられる。
私が学生時代、アナキストに憧れていたように、高校・大学生のときは少しでもとがっていたいという思いから、間違った選択をする傾向もあるだろう。暴露系YouTuberの当選を見ると、面白がって投票した人も多いのではないかと懸念がある。根拠のない噂を拾って、調べもせずに信じ込むこともあるだろう。
ある高校では、生徒が選挙へ行くことを呼びかけたところ、「政治的だ」と教師が注意したという話も聞いた。教師ですら、わかっていないのだ。このような状況で、子どもたちに、自分で政治を判断できるような教育がされているとは思えない。振り返ってみると、私たちも小学生の頃から、「政治の話はしてはいけない」「投票する人を言ってはいけない」と教えられてきたように思う。家同士の仲が悪くなってしまうという話だった。それが間違っていると気づいたのは、成人して以降だ。政治の話をタブーにし、判断能力をもてない、興味すらもてないようにしてきたのは、今に始まった話ではない。
日本の教育が間違っているとしか言いようがないが、土台の不安定な若者に、何の準備もないまま未来を選べというのは残酷だ。

現時点を「最低」に

これから何十年後、この世にいる若者たちから睨まれることが怖い。
なぜなら私が今、過去を睨んでいるからだ。
すでに覆せない過去に対する怒り、これから変えていかなければいけないという未来への覚悟。恨みにも近い、私が向けている眼光が、今後自分に向けられることが怖い。
そこで、18歳以上の読者が多いであろうと思われる本エッセイに投稿した。
明日はどうせ変わらない、という考えではなく、そのずっと先の未来がくるまでのことを考えてほしい。
ずっと未来なんてわからない、と考えるのではなく、明日の生活が変わることを考えてほしい。
他人の為、自分の為、双方の視点から考えてみてほしい。
今の現時点を「最低」にして、ここから上がっていくために。
誰がどんな政策を主張しているのか、その主張している人の所属はどこなのか。
平等とは何か、平和とは何か、生活しやすさとは何か。
愛したい者同士で愛せるか、道端に倒れている人はいないか、非暴力を選べるか、働いた分生きやすくなれるか、表現したいことはできるか、言いたいことは言えるか。
29歳最後、こうした言葉を残したい。