5年前、中高時代の友人が亡くなった。
予想もしない訃報に、文字通り身体が固まり、しばらく理解できなかったことを覚えている。

その友人とは、文理のクラスも部活も違っていたが、妙に相性がよかった。
背が高く、手足が長い彼女はすらっとしていて、笑いのツボが浅かった。私のくだらない話に大爆笑し、そんな彼女を見て私も自分でツボってしまう。まさに「箸が転んでもおかしい年頃」という表現がぴったりだった。
「OCHANOKOと話すと元気になるし癒されるよ~」と度々言われたが、私もそっくりそのまま彼女に返したかった。

そんな彼女が突然。
訃報連絡を受けた時、悲しみとともに押し寄せたのは、深い後悔だった。

「もう会えない」なんて、あの時は想像もしなかった

その年の初め、その子から年賀状をもらっていた。
「久しぶり、元気?また会いたいなー」
毎年年賀状をやり取りしていたわけではなかったので少し不思議に思ったが、年賀状の習慣が薄くなっていた私は、「友達なら返さなくていいかなー。また会えるし」と、返事をしなかった。

今思えば、あの時年賀状を返していれば、「また会おうよ!」と話がすすんで、生きているうちにもう一度会えたかもしれない。
「元気?」という言葉の裏には、彼女が元気でない理由や、何かしらのメッセージが隠されていたかもしれない。

お通夜でご遺体を見た時、彼女が亡くなったことを初めて実感した。
死因ははっきりとわからなかったし、それを聞けるほどの余裕はなかったけれど、「あの時、年賀状を返さなくて本当にごめんね。私が気づけたことがあったかもしれないのに、何も出来なくてごめんね」と、彼女からのメッセージを心から受け止めなかった自分を、ひたすらに悔いた。

私にとって、親族以外で人を亡くした初めての経験だった。
彼女が亡くなって、「また会おう」の「また」が突然に消えることがあるのだ、ということを知った。

思いがけず果たした、恩師との最後の再会

あれから数年経った。
つい先日、中高時代にお世話になった先生を亡くした。

実は、亡くなる半年前、母校を訪れていた。
母校のある駅で散策をしていてふと、「学校に行ってみようかな」と思いついたのだ。
閑静な住宅街にたたずむ校舎はすっかり建て替えられて、女子校の気品が漂っていた。週末だったこともあり、一層の静けさだ。
綺麗な校舎を敷地外から覗いてパシャパシャと写真を撮りまくる私は、きっと防犯カメラで不審人物と映っていただろう。
誰か出てこないかなー。
そう思って粘っていたら、たまたま数人の先生が誰かの見送りで外に出てきた。

どうしよう。私のこと覚えてないよね。でも。
思い切って「すみません、私ここの卒業生なんです」と声をかけた。
そうしたら、「あれ、お名前なんだっけ?そうだそうだ、私、国語教えてたよね。なんでだろう、不思議だわ。私、病気をしていて最近はめったに学校に出てこれないの。この髪の毛もウィッグ。今日は保護者会で来ていたのよ。不思議と今日は色んな人に会うわ。よかったら新校舎を見て行って」と案内してくれた。

友人の死は、「また」会える素晴らしさを教えてくれた

私は母校愛は薄い方だと思っていたのだが、久しぶりに先生に会えた感動で爆泣きしながら学校に入らせてもらった。
その時に写真を撮ったのが先生との最後。
数か月して、亡くなったとの連絡があった。

私にとって忘れたくない、忘れられない友人の死。
彼女への深い後悔があったからこそ、以来、会いたいと思ったら恥ずかしがらずに会いたいと言おう、会いに行こう、誘われたらすぐに「はい」と言おう。
そんな意識に変わっていった気がする。
先生と最後に会えたのは、そんな心がけと偶然が重なったからだと思う。先生を亡くしてもちろん悲しかったが、会いたいと思った時のチャンスを逃さなかったのは、友人のおかげだ。

大切な人と「また」会えるのはとても素晴らしいこと。
会いたい時にそのチャンスを逃してはいけないこと。

友人が亡くなった2月になると、その心得を改めて胸に刻む私がいる。