私は1年前、自分の中で大きな一歩となる決断をした。
その頃は地元沖縄の会社で働き始めて1年半で、毎日平凡に過ぎていく日々につまらなさを感じていた。学生の頃、就職先を考えた時に、周りはまず沖縄に残るか県外に行くかで迷っていた。私は大好きな家族や友達と離れるなんて、そんな辛いこと出来ないと思っていた。
でも実際地元で就職してみて、県外でバリバリ働く友人を羨ましく思ったり、長い人生の中で地元に残る決断をしたのは勿体ないんじゃないかという気持ちが芽生えてきた。

県外への転職を考えたけど、コロナ禍ということもあり周りからは反対された。自分でも不安の方が大きかったし、一旦冷静になって自分なりの幸せを見つけようと思った。新しい趣味を見つけてみたり、友達の紹介で彼氏を作ってみたり、気を紛らわせる日々を送っていた。

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そんな時、高校時代の部活の先輩が、病気で余命があと1か月しかないということを知らされた。
高校時代、部活帰りに海でバーベキューしたり、帰りのバスを一緒に待ちながらおしゃべりしたり、先輩とは楽しい思い出しかなかった。大学生になってもずっと私のことを気にかけてくれていた。

私たちに出来ることはわからなかったけど、いても立ってもいられなくて仲間と数人で先輩のお母さんに千羽鶴を渡しに行った。お母さんは私たちを家に入れてくれて、今の現状を話してくれた。
先輩は病気になって自分の余命を何となく察していても、ずっと夢だった社会福祉士になるための勉強を辞めなかったそうだ。そしてどんなに身体が弱っても、自宅での闘病生活の中で弟たちの世話をしたり、自分よりも周りのことを気にかけていたという。

「あなたたちが羨ましい。ありきたりな言葉だけど、生きてさえいればどんなことだって出来るって分かってほしい」という言葉をくれた。その場にいた仲間は全員泣いていて、それにつられて私も涙が止まらなくなった。
あの時は先輩を失ってしまう怖さと、本当は挑戦してみたいことがあるのに妥協して今の会社に居続けて、本当にこれでいいのかという自分の現状に胸が苦しくて涙が止まらなかったのだと思う。

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先輩はその1週間後に亡くなった。私も明日死ぬかもしれない、このままではダメだと心の底から思った。そして地元を離れる決意をした。
先輩の死をきっかけに動き出すなんて人としてどうなんだろうとも思ったけど、それ以上に今まで感じたことのない、今動かないと一生後悔するという思いがあふれ出てきてしょうがなかった。それから1か月後、県外の会社に転職することが出来た。

転職した会社では毎日が忙しく過ぎていく。ほぼ残業のなかった前職とは違って残業も多いし、若手でも任される仕事の責任が大きい。
私は環境に慣れるのも時間がかかるし、仕事を覚えるのも遅い。やっぱり地元に残って平凡な暮らしの方が私にはあっていたかもと思うことは何回もあるし、1人で家にいる時とか孤独に襲われて自分は必要な存在なのかと思うこともある。
何度もくじけそうになるけど、そのたびに先輩のことやあの日先輩のお母さんが言ってくれた言葉を思い出す。

先輩は大学時代から病気を発症していたそうだ。大学時代を思い出して、私だったら自分が辛い状況にあるのに心身ともに元気な後輩にあんな優しい言葉を掛けられない。どういう状況でも環境が変わっても相手を思いやれる、ああいう強い人間になりたい。

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沖縄に帰るペースは3か月に1回というハイペースで、家族や友達と過ごす時間は相変わらず愛しい大切な時間だ。沖縄の海を眺めながら、あの時決断出来ていなければきっとこの綺麗な海を嫌いになっていたかもしれないと思う。
地元を離れてみて、より沖縄を好きになった。美味しいものや観光地ももちろん魅力的だけど、あの独特のゆったりした空気と人の温かさはどこにでもあるものじゃなかったんだということに気付けた。

先輩は高校時代の部活でも大学に入ってからも、今も変わらずずっと私の背中を押してくれてる。1年ほど前の私は現状と変わらないような未来しか見えなかったけど、これからはどんなことが待ち受けてるかわからない未来に立ち向かっていきたい。