「すみません、僕はちょっと遠慮させていただきます」。
入社したばかりの新入社員の後輩の言葉に、私の目は点になった。1ヶ月前に入社したばかりの彼の、ささやかな歓迎会を行うはずだったのだ。
主役が来ないのならしょうがない。彼よりも5〜6歳年上のアラサーたちだけで、その日は飲み屋街に繰り出した。

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「あの子すごいねー!このタイミングで飲みに誘われるってことは、自分の歓迎会だって普通は空気読みそうなもんだけどなぁ」
賑やかな居酒屋の一角で、同僚たちは茶化すように、先ほどの彼の言葉を肴に飲み始めた。
私はその輪の中であははと笑いながらも、先ほどの彼の姿を心で反芻しながら、自分の普段の振る舞いを省みて、「いいなぁ」と純粋に羨ましい気持ちを抱いた。

彼にとっての私たちのように、私にもいま、自分の「普通」とは基準が違うために、心が疲れてしまう人がいる。
母だ。

縁を切っているわけでも、ましてや不仲なわけでもない。必要な連絡は取るし、たまには雑談の電話もする。
しかし、いつからか電話をする度に「あんたの幼なじみの〜ちゃん、最近子ども産まれたって」から始まり、「弟の同級生の●●くんが最近結婚した奥さん」が結婚を機に正社員からパートになったこと、「母の同僚の▲▲さんとこの次女の××ちゃん」のご懐妊の報告まで、母の周りで起こる結婚、妊娠、出産、育児の話題ばかりを私に振ってくるようになった。

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私はひねくれ者なので、その度に、私自身に産む意思があるのかどうか、確認をされているような、責められているような気持ちになるのだ。
のらりくらりと、どっちとも取れないような曖昧な相槌で乗り切ろうとすると、トドメを刺すように「で、あんたらは仲良くやってるん?……まぁ、でも、あんたたちは犬、可愛がってんねんもんな」。

そんなわけで、夫と入籍してからというものの、コロナ禍を言い訳に2回しか帰省していないし、もうすぐ始める不妊治療のことも母には黙ったままだ。

働きながらの不妊治療だ。私はやっぱりひねくれ者なので、当時専業主婦で、20代前半のうちに3人も子どもを産んだ母になんか、私の気持ちが分かるものか!と、母が私に妊娠や出産の話題を振ってくる度にそんな風に思っては、そんなひねくれた考え方しか出来ないから私は子供に恵まれないのだと、よく分からない自己嫌悪に陥っては悲しい気持ちになり、物理的な距離を取っているからこそ電話くらいしなくちゃ……と、別に自分から話したいこともないのに電話しては、真意の分からない母の言葉に何度も傷付いている。

はっきり言えばいいということは分かっている。望んでも子どもが出来ないことを、働くことが大好きだから、仕事はこれからも続けるということを。
でも、母には私と同じ考えがないことも、私はよく分かっている。
母と私は違う人間だから。いつしかそんな風に思うようになっていたのだ。

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でも、後輩に飲み会の誘いを断られた時、驚きはしたものの、私自身は嫌な気持ちにはならなかったことに気付いた。そっか、飲みに行くのが嫌なんだなと、それ以上でも、それ以下でもなかった。
むしろ、入社したばかりの彼が少しでも馴染めるようにと、気を利かせたつもりになっていたことを恥ずかしいとさえ感じた。私がそう思えるのは、彼が直接「飲み会には行かない」と言葉で表明してくれたからだ。

心の中は目では見えない。
私が母の言葉に傷付くように、母も私の言葉で傷付いているのかもしれない。けれど、随分と長い間、当たり障りのない話しかしてこなかったので、分からない。でもそれは当たり前のことなんだよなぁ、と、酔いが回り始めた同僚が4杯目のハイボールを注文するのを眺めながら、そんなふうに思った。

不妊治療を始めることは、きっと母には言えない。けれど次に電話するときには、こう言ってみようかな。
「心配してくれてありがとう。仕事はめっちゃ充実してるし、毎日幸せにやってるで。今度いつ、そっちに帰ろうかな」