私は昔から心配症だった。
雷が近所に落ちたときも、地震が起こったときも、何処かで事件があったときも……。
いつか自分の大切な人たちになにか起こってしまうのではないかと、いつも不安だった。

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ほら、最近起きたあの事件だってそう。
手作りの拳銃で人が亡くなった。
さっきまで一緒にいた人が突然亡くなることもあるのだとあのとき実感した。

以前は、「ここは日本だから治安は安全。災害があるけれど自然と生きていくためには受け入れていかなければならない」と、そう思っていたのに、2発の砲音で呆気なく日本の平和は崩れてしまった。

あの事件がきっかけで私はこう思うようになった。
「誰でも突然、大切な人を失うことがあり得るのだ」と。

あのニュースを目にしたとき、血の気が引くような感覚があった。
私はあの人を間近で見たことがないし、あの人自身に興味があったわけでもない。
自分が撃たれたわけでもないのに、私の方まで体に衝撃が走ったほどだ。

平和が崩れるのは簡単だ。
私の大切な人たちもただ運が良いだけで、世界規模で見れば老若男女にかかわらず人が亡くなっている。
私達が住む世界はこんなにも呆気ないのだと感じた瞬間だった。

ニュースを聞いた日は、ただただ呆然としていた。
いつものように友人とLINEをしているときでさえ、どこか不安な気持ちで一杯だった。

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そんなふうに思うのは大袈裟だと思う人もいるかもしれないけれど、私が一番恐れるのは大切な人が突然いなくなってしまうことだ。
私は絶対に失いたくない。いなくなってほしくない。

不安な気持ちが込み上げてきて、私は友人に、
「大切な人が突然いなくなってしまう世の中になってしまったね」
と送ってしまった。
すると私の心境が不安定であると友人は悟ったらしく、このようなことを言った。
「不安に思うことがあるなら電話してきてもいいよ。私はここにいるから一緒に話そう」
不安な気持ちがスッと消えたような気がした。この言葉一つで心がじんわり温かくなったような気がした。

その後に「毎朝、モーニングコールですももを起こしてもいいよwww」という冗談交じりのメッセージも送られてきた。

友人なりに心が不安定だった私を元気づけようとしてくれたのだ。
その友人とは今も連絡を取り続けている。

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友人にとって、私に送ったメッセージは他愛もないものなのかもしれない。
でも私はあの言葉に救われたのだ。
大切な人に“ここにいるから大丈夫”と言われるのは、私にとって大きな安心材料だ。

ずっと私の身近にいた友人だからこそ、心配性の私を気遣って声をかけてくれたのかもしれない。
そんな心の優しい友人に、私は何をすることができるだろうか。
友人が不安になったときに、私も力になることができるだろうか。

不安定な世の中。不安定な私。
いつ壊れるかわからない世界で生きていくことは私には難しい。

でも私の周りには大切な人がいる。
力づけてくれる友人がいる。
その人たちのために私は一体何ができるだろうか。
そのことについてこれから考えていきたい。