昨年の夏、私は、1ヶ月仕事を休んだ。
勤務中、腹痛・吐き気・めまいに襲われ、呼吸は数歩歩いただけで苦しくなる。仕事に行くのが憂鬱過ぎて、仕事以外の時間の活動にも支障をきたしていた。
こうなってしまった背景は、職場の人間関係がどうとか、仕事の内容がどうとか、そういう事ではなかった。

やりがいを感じて働いていたのに、どうして憂鬱になったんだろう

1年程前、父が亡くなってしまった。それまでアルバイトしか経験してこなかったのだが、父が働いていた介護施設の方のご厚意で、そこに雇ってもらえることとなった。
人と接するのは好きであったし、1度は経験しておいた方が良い業界であると思い、ご厚意に甘えさせていただいた。

何より、とりあえず生きていく為に、どんな仕事でもすぐに始めなければ、という思いがあった。職員の方々には、色々と口酸っぱく言われてしまうこともあったが、何だかんだと可愛がっていただけて、本当に感謝していた。

入居者の方々も、ご高齢であることから心無い言葉をかけられてしまうこともあったが、優しい言葉や温かい笑顔をいただけることもあり、それなりにやり甲斐を感じていた。
だのに、どうして冒頭の様な状態になってしまったのか。

父への罪悪感と、チャンスを失う不安が、精神を不安定にさせていた

理由は2つ。
1つ目は、「自分の父親に対して出来なかったことを、赤の他人にしている」という罪悪感である。父が亡くなる直前、容態が重体であったこともあり、父のことは病院に任せ切りにしてしまった。

父に対してこんなに丁寧に接する事は出来なかったのに……父の身体をこんなにいたわる事は出来なかったのに……。そんな罪悪感を、仕事中常に感じていた。

2つ目は、「“今しか”出来ないことは、他にあるのではないか」という考えであった。
恐らくではあるが、介護という仕事はこの先、始めようと思えばいつでも始められる。高齢化社会である上に、人手も不足しているという現状があるからだ。実際、私の勤務先でも、ほとんどの職員の方が40歳を超えていた。

一方、私が以前から気になっていたりやってみたいと思っていた仕事の中には、25歳や30歳までなどと、年齢制限のあるものが多い。
自分が、やりたい関わりたい見てみたいと思っているものの中で、年齢制限があるものから先に経験すべきではないだろうか。“今、この時”にこの職場で働くという選択は合っているのだろうか。そんな思いが日々巡っていた。

そして、日々焦っていた。この仕事をしている間にも、様々なチャンスを失い、貴重な時間を間違った方向に使ってしまっているのではないか、と。

罪悪感と焦燥感。日に日に大きくなってゆく感情に揺さぶられ、悩んだ末に、遂に冒頭の様な状態になってしまった。(恐らく、過労も原因の1つであったのだろうが、体力よりも精神力の方がやわである私にとっては、上記の2つに身体がやられていったと考えた方が納得がいく。)

限界だ……と思った私は、上司に相談。思い切って、仕事を1ヶ月休ませてもらうことになった。

1ヶ月仕事を休んだあの夏の挑戦を経て、たくさんのことを学んだ

去年の8月である。以前より続けている大好きなアルバイトのシフトをたくさん入れ、なかなか会えなかった友人と会い、悠々自適に日々を過ごし、自分を見つめ直した。
さあ、これからどうしよう。8月も終わる頃、職場から、もう仕事にこなくていい、との連絡を受けた。

そりゃそうか。こんな無茶苦茶なお願いをしたんだ、見離されて当然だ。
これからの生活を考えると、正直不安が大きかった。何せ貯金残高は1万円のみ。来月のアルバイトの給料日までどう頑張っても持ちこたえられない。

こんな状況の私を助けてくれた友人には、本当に感謝しかない。彼女に何かあった時には、全力で力になりたいと本気で思う。
結局その後数ヶ月間、大好きな仕事内容のアルバイトを2つ掛け持ち、今年の1月からは、以前よりやってみたいと思っていた仕事に就けた。

今現在、仕事以外にも、やりたい事に片っ端から手を出している状態である。体調も、1年程前に比べ驚く程良くなった。

去年の9月。職を失い、友人に世話になり、不安で仕方のない日々ではあった。しかし、その1ヶ月前に下した判断は間違っていなかったと思う。あのまま働いていたらきっと、何か色々と、大切なものを失ってしまっていたと思う。

自分のやりたい事を犠牲にし、生きていく為に働く、ということがあんなにも辛いことだとは思わなかった。お金の有難み、友人への感謝、そして、たった1人の、私という人間の人生の大切さ。1ヶ月仕事を休むというあの夏の挑戦の先に、身をもって感じることの出来たもの達である。