いつも手帳に挟んでいる栞がある。クリーム色のメッセージカードをラミネート加工した、手作りの栞だ。カードの左側には、小さな赤い押し花があり、右側には「恐れることはない。わたしはあなたと共にいる(使徒18の9~10)」と書いてある。
これは数年前、長崎観光で名所の教会へ足を運んだ時に見つけたものだ。
中に入るとかすかに木の香りがする、古い教会だった。入り口の近くには無人販売所があり、そこに聖書の一説が書かれた押し花つきの栞が100円で売られていた。
地元の信者が作ったのだろう。栞の文字の筆跡やカードの切り方がそれぞれ異なり、何一つとして同じものはなかった。観光名所にしては人が少なかったので、販売所の前を陣とり、一枚ずつ手に取って眺めることができた。その時に出会ったのが、この栞である。
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欲しい言葉を見つけた、そんな気分だった。
キリスト教の信者ではないので、これがどのような場面で発せられた言葉なのか、メッセージの真意は何なのか、その場ではよくわからなかった。しかし、当時、学生生活最後の夏を過ごしていた私にとっては、染み入る言葉だった。
このとき、就職活動に苦戦し、未だ就職先が見つかっていないにも関わらず、現実逃避をして長崎旅行を決行したのだった。就職と、その先の将来への漠然とした不安を、目の前の楽しい事や、「どうにかなるさ」という楽観的な気持ちで蓋をする日々を過ごしていた時期だった。
自分のこの状況に罪悪感を抱きつつも、現実を直視したくない弱さに甘んじていた。そんな自分に、肯定し、寄り添ってくれるような言葉が投げかけられたのである。
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100円を賽銭箱に入れて、教会を後にした。
ホテルへ帰った後、ネットでこの言葉について調べた。
どうやら、キリストの弟子・パウロがギリシアの地で布教活動している時に、主が幻となって彼の前に現れて言った言葉らしい。本来はもう少し長い台詞だ。当時はWikisourceで公開している『新約聖書』使徒行伝第18章9-10の訳文を見たが、ここでは日本聖書協会が出版した聖書の使徒言行録から引用する。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、だれもあなたを襲って、危害を加える者はいない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」
該当箇所の前後を読むと、パウロの布教活動は順調とは、いえなかったようだ。慣れない異郷の地、キリストの教えを信じてくれる人もいれば、冷ややかな反応を取る人も少なくない。罵られることもある。
そんなさなかでの、主の発言である。
使命とはいえ、辛いと思う日があったり、人間不信になったりしたことがあっただろう。そんなときに、崇拝してやまない主から「わたしも共にいる」と言われたのだから、パウロは元気がみなぎったに違いない。この言葉の後に、一年と六か月かの地へ留まって布教活動をしたと記載があるのだから……。
「恐れることはない。わたしはあなたと共にいる」。これは苦悩する者へ向けた言葉なのだ――。使徒行伝にはパウロの心情は書かれていないのだが、前後の文脈から妄想を働かせて、勝手にこのように解釈して、スマホを閉じた。
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今までこのような台詞を、他人から言われたことがあっただろうか?床に就き、暗い天井を眺めながら考えた。
パウロほどの苦悩ではないにせよ、落ち込んでいる時、悲しい時に励ましてくれる友人はいたかもしれない。しかし「私がついているから、頑張ろう!」とまで言ってくれる友は記憶にない。何せ親ですら怪しい。友人も親も、態度で示してくれていたかもしれないが、直接言葉で伝えてくれたことは、5本の指で足りるほどしかないのではないか。
一抹の悲しさを覚えながら、その日は眠りについたのだった。
それから、この栞をいつも持ち歩く物に挟んで出かけるようになった。気分が沈んだ時はこれを眺めて、自信を取り戻している。
いつか人の口から直接言われてみたいものだ、という願望と共に。