実家の母からアボカドをもらった。
小さい頃、私はアボカドが嫌いだった。今は遭遇したら割とおいしいと思って食べるようになったのだけれど、あの緑の果肉を「デロデロで気持ち悪いな~」と思っていたころの記憶が頭から抜けなくて、ふだん買い物をしているときにはどうしても手に取る気になれなかった。
そんな私の暮らしの中に、不意に転がり込んできたアボカド。どうやって食べよう。普段買わないから、アボカドのおいしい調理方法なんて知らないな……。悶々と考え込んでいたら、不意にひらめいた。
「エビアボカドつくろう!」
かわいい女の子が食べるもの、というエビアボカドのイメージ
大学生のころ大好きになったシンガーソングライターの吉澤嘉代子が、「アボカド feat.伊澤一葉」という曲を歌っていた。
エビアボカドを注文した女の子が、気になる人から「女の子はアボカド好きだよね」と言われ、決めつけないでと言葉を返す。でも、心の中ではその人に対して、「私があなたのこと好きだって決めつけて」と関係の発展を願っている、そんな歌。
キャッチーながら切ない歌詞と、爽やかでかわいらしくて軽快なサウンドがお気に入りで、よく聴いていた。この曲を知ってから、私の中のエビアボカド像が「かわいい女の子が食べるおしゃれフード」になったと思う。
アボカドを敬遠しているせいで憧憬の念ばかりふくらんでいたエビアボカドを、いまこそ作ってみるべきなんじゃないか。
そう思い立った私は、その次の休日の昼下がり、エコバッグに財布を入れ、意気揚々とスーパーマーケットへ向かった。
スーパーからの帰り道、輝く夏の日に考えた「幸せの総量」
事前に調べたレシピを思い出す。
エビアボカドは、ゆでたエビとアボカドを、マヨネーズとレモン汁であえるだけの至極シンプルな料理。買う必要があるのは、エビと、ちょうど切らしているマヨネーズだけ。鼻歌交じりでキューピーマヨネーズと冷凍エビを買い物かごに入れる。
普段はコスパ最優先で、調味料はプライベートブランドのもの、肉なら鶏むね肉ボリュームパックばかり購入している私にとって、今日の買い物はどちらもぜいたく品の部類に入るが、なぜかあまり気にならない。エビアボカドをおいしく完成させるためなら、この程度の出費はダメージにならないのだ。
会計を済ませて店の外へ。夏の始まりにふさわしい、よく晴れた日だった。
まばらに浮かぶ白い雲がことさら空の青さを際立たせている。帰り道にあるお気に入りの公園は、芝生の緑がまぶしかった。暑さのせいか、道行く人の歩みもこころなしかゆったりとしているように見える。
仕事の途中と思しきお姉さんが日傘をさして歩くのを観察しながら歩いていたら、なんだか身震いするほどうれしくなっている自分に気づいた。空が青くて、芝生が緑で、「食べたいな」と思うものがあって、その材料がそろっている。そんな些細なことがそろうだけで、世界が完璧なものだと思えた。他に望むものは何もない、と感じた。
願わくば、毎日をこの瞬間のように過ごしたい。小さな日常によって、私はこんなに幸せを感じて、満たされた気持ちになることができる。
しかし、家に帰ってエビアボカドを作り終えたら、次の日には仕事が待っていて、力不足な自分を嫌いになったり、叱責されて悔しい思いをしたり、理不尽な出来事に心を殺して耐えなければならない。
なぜこんなにつらい思いをして働かなければならないんだろう。そう思う一方で、そんな忍耐の日々があるからこそ、欲しいものを買えるし、好きなことをして過ごす瞬間を尊く感じられるのだということも、頭の片隅ではわかってる。
わかっているのか、それともそう思い込んでいるだけなのか。例えば仕事を辞めて、実家に戻って親に養ってもらって、将来に漠然と不安を抱きながら、自由も少ないけれどストレスも少ないような生活をするのと、今の生活を続けるのとでは、「幸せの総量」はどちらのほうが多いのだろうか。
人は、いや私は、いったいどうやったら毎日を楽しく、自分を嫌いにならずに過ごせるんだろう。この問いに答えを出した人はいるんだろうか。
毎日迷いながら、「幸せ」と思える瞬間を大切に
私の大好きなポッドキャスト「OVER THE SUN」で、パーソナリティのジェーン・スーが「女性には最低でも8パターンの人生がある」と言っていた。まだまだ若輩者の私にとって、人生の選択肢はあまりに多く、「幸せの総量」を増やすための正しい答えを導き出すにはあまりにも経験が足りない。だから、毎日考え込んだり、自信を失くしたりしてばかりいる。
そんな日々は苦しい。早く抜け出したいけれど、きっとずっと抜け出すことはないだろうなと思って絶望することもある。でも、人は、たとえば晴れた日にスーパーで買い物する、そんな日常的な瞬間に気持ちが満たされることもあるのだ。
進むべき道は見えないけれど、あの瞬間を忘れなければ、いつかまた「幸せだな」と思う時が不意にくる気がする……と、エビアボカドを作った日からずっと思っている。