何一つ上手くいかない。どん底にいた私を引っ張り上げたアーティスト

私には今、大ファンであることを公言している音楽アーティストが1人いる。
彼のおかげで今の私がいると言ってもいいくらいだし、自分が彼のファンであること自体もまた、私は愛しく思える。

大学生の頃、どうしようもなく人生に絶望していた時期がある。
公私ともに何一つ上手くいかず、何をしても空回り、将来に希望も見出せず、気分は常にどん底、まさにモノクロの世界で生きているような感覚だった。この時期ほど、宗教にすがりたくなったことはない。キリスト教系の高校に通っていたこともあり、同じ宗派の教会に通い始めることを本気で考えていたくらいだ。
そんな中、唯一見つけた現実逃避の場所であるアルバイト先で、運命の出会いがあった。そこでは勤務中、常にラジオが流れていて、元々音楽鑑賞が好きな私は、知らなかった楽曲を知れる機会として重宝していた。そんな中、流れたとある楽曲に、私の意識は引き込まれた。

どこかで聴いたことのあるような、何となく懐かしい印象を受けた。それでいて、全く陳腐さを感じない。その曲のことが気になった私は、勤務時間後に曲名とアーティストを調べて、まず驚いた。リリースされて間もない新曲だったのだ。
動画配信サイトでその曲を改めて聴いた後、同アーティストの他の楽曲を数曲試聴してみた。
「こんなアーティストが存在してるんなら、この世界もまだまだ捨てたもんじゃないのかも」
誇張なしに、そう思ったのを覚えている。その感覚は、動画配信サイトで確認済みの楽曲以外は全く期待せずにレンタルで借りたものの、他の収録曲も見事に全部、いい意味で私の期待を裏切ったアルバムを聴き終えたとき、より強固なものとなった。
彼のどの楽曲にも共通して言えることは、繊細かつ力強い歌声と歌詞。時に温かく、時にシニカル。「才能の塊」と後に私が表現し布教することになる、癖になるほどの多面性も、不協和音ですら自在に操るセンスも、何もかもが好きだと思えた。

モノクロだった私の世界が「彼」によって、急速に色づいていく

彼の存在、彼の音楽、そして彼の世界観を知ってから、モノクロだった私の世界が、急に彩りを取り戻したような感覚を抱いた。
彼の発表済みの楽曲を一通り知る頃には、私は直感的に確信していた。「彼には一生ついていくだろう」と。
現実の問題が根本的に解決したわけではなかったが、生きていく上で必要な最低限の心の拠り所が見つかったことは、私にとって生きる希望になったと言っても過言ではなかった。
特定の誰かにこんな特別な感情を抱いたのは、おそらく人生で初めてだった。
普段雑誌を全く読まない私が、彼のインタビュー記事が掲載されている音楽雑誌を買うのも、この時代にあえて形に残るCDを買うのも、彼への愛がそうさせているのだろう。でも、「愛」と言っても、男女間のそれとは別物だと私は思っている。言ってしまえば、私の彼に対する思いは、まさに神様を崇拝する信者さながらだ。
彼の尊さは、彼が同じ人間の男性だということすら、忘れさせてしまう威力がある。

彼のファンになってから早ウン年も経過したが、当初の確信通り、私はまだまだ彼の信者だ。
私が彼を知ってから数年後、彼はとあるきっかけで大ブレイクし、かつての「知る人ぞ知る」存在ではなくなってしまった。今ではどちらかと言うと大衆向けの楽曲を制作することが多くなってしまい、彼の世界観が炸裂したトゲのある過去の楽曲を懐古する自分もいる。
でも、どんな彼も、彼であることには変わりない。スタイルを少しずつ変化させようとも、私を本質的に失望させることはないだろうと信じている。だからどんな彼であっても、末長く見守っていきたい。

ファンになった当時より、遥かに生き生きとした実生活を送る今も、彼の存在は私の生活に欠かせないものである。彼の活動には感謝してもしきれないのはもちろん、当時の私自身にも、彼を見つけてくれたことを感謝したいと思う。