田舎に住んでいる高校生以下の子どもが東京に遊びに行くのは、「ステータス」である。ましてや友達と行くともなれば、SNSにいくつも小旅行の写真が上がり、羨望の的となる。
少なくともバイトが禁止されていた私の高校では、遊びに出資してくれる親がいて初めて東京行きは可能となり、さらにその条件をクリアした者が友達であることも自慢に値するのである。

いや、彼女たちは別に自慢したかったわけではないのかもしれないが、それでも私の目にはキラキラしていて羨むに値する行為に写っていた。中学では小旅行するほど気の合う友達ができなかったし、高校は部活と勉強に明け暮れていたらコロナ禍が始まってしまったから、中高の間、東京に向かう機会は本当に少なかった。

そこまで猛烈に行きたいと焦がれたことこそなかったが、数々の自慢に触れるたびに、あまり足を運べない街への憧れは少しずつ、生き物のように大きくなっていった。
それに加えて「涙ぐましい努力をして憧れの大学に行こう」と宗教のように繰り返し私を鼓舞した受験戦争が、その憧れを加速させた。
早くこんな街をでて東京に行きたい。憧れの街でキラキラした生活をこの手で勝ち取るんだ。そう思ってやまなかった。

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緊張と寝不足で肌荒れを起こした顔をマスクに隠して受験会場へ向かい、想像していたよりもあっけなく受験戦争は終わった。調子に乗って神様が機嫌を損ねたら嫌だから「自信がない」と周囲に言いふらしたが、無事あの時の好感触の通り、第一志望の大学の合格通知が群馬県までやってきた。周りの友達は紆余曲折あって志望校を変えたり落ちてしまったりして、高校一年の最後に設定した第一志望を貫いたのは周りでは自分一人のようであった。

当然、こんなサクセスストーリーを描いた自分にはサクセスストーリーの続きが待っている、そう信じて心を踊らせた。

これまでと比にならないくらい友達が増えた!
一時間に一本しか来ない地元と違って電車は数分に一本来るし、遊ぶ場所だらけ。美味しいものもそこらじゅうにある。
私の悪口を言っていた元クラスメイトのインスタは全部ブロックして、バイトで稼いだ金で遊ぶ。口座はギリギリだけど、最高だ。なんて最高なんだ。

でも、ひとたび友達に右手を振ってそこにさよならの呪文をかけると、途端に私は灰色の街に独りの弱い存在になる。
見渡す限りの知らない人の中、口角を性格悪く上げて近寄って来るのは客引きと、怪しいスカウトと、一晩の相手を求める人々。無視すれば罵倒され、断れば罵倒される。絶対に避けられたはずなのにぶつかってくるガタイのいい人。ピンヒールで踏まれる足の甲。友達のいない街は怖い。灰色どころかもっと澱んでいる気もする。

それに、人混みの中の誰も私を見ない。お花に水をくれているおばちゃんが名前を呼んでくれることもないし、大好きなレストランの店員さんにまた背が伸びた?と聞かれることもない。何より、家族の声がなかった。

吹き込んでくる小雨に諦めの姿勢を見せ、人にぶつかって危ないだけの傘を畳みながら思う。この街は、眩しくて、とても寂しい。きっと私みたいに寂しい生き方しかできない人がたくさんいる。

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あらゆる色で埋め尽くされた無機質な街に私は独りで、私を助けてくれるのは私と、いつも頭の片隅にあるギリギリの口座残高だった。楽しい毎日を過ごしているはずの私の心は知らず知らずにすり減って、一人でいると涙が溢れてくるくらいになった。勉強するからと都会に出たくせに、遊ぶことでその場凌ぎの充実感を得ている自分にも嫌気がさしていた。

インスタには毎日の充実した側面だけをあげる。かわいいスイーツ、綺麗な食事。加工で色彩の鮮やかさを最大に強調した東京の街並み。少し目を大きく加工したおしゃれを楽しむ自分。
インスタの中の街はどこですか。高校の時に夢見ていたあの街そのものの、ここはどこですか。
まだあの街を忘れられない私は、キラキラを金で買って生きていくのだろう。