どちらかと言うと、安全な道を歩きたがる質だ。大事な人生の岐路から日常の些事まで、出来るだけ準備してから行動を起こす。

これは父譲りの考え方だ。石橋を叩いて渡る、そんな生き方。素晴らしい生き方の1つではあるが、大学生の時、何度かそれをやめたいと思ったことがあった。
理由は至極単純で、その生き方がただ単に楽しいと思えなかったから。命を守る点に対してはその生き方は真っ当だけど、人生に彩りを加えるには少しパンチが弱かった。

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8月のある日、生き方を変える一歩として、私は友人と青春18切符を買いに出かけた。そして、ろくな準備もせずふらりと電車に乗り、広島へ向かった。場所はどこでもよくて、たまたま乗った鈍行列車がそちらに向かっていた。

うちの家族は旅行に縁が無く、私は旅に全くの不慣れだった。さらに言えば、一緒に行く!と何故かついて来た友人も不慣れだった。そんな二人だったものだから、乗ったはいいもののドギマギしてしまって、楽しむよりも緊張しながら車窓の風景を見ていたのをよく覚えている。

街から畑に変わり緑しか見えなくなってきた頃、私たちは今夜の宿が決まってないことに気が付いて、大慌てでスマホと睨めっこを始めた。なんとか広島市内のホテルに部屋を取って、一息ついていたら尾道に到着した。

友人が降りてみたいと言うので私も同行し、猫に招かれオレンジ色に染まる坂を二人で上った。途中で友人のサンダルが壊れて、「抱っこ」と言われたときには絶望したが(試しに抱えてみたが抱っこなんて出来ず、二人で転がり落ちるところだった)、とても美しい場所だった。
友人は信じられないくらい蚊に噛まれて、あまり良い思い出とは言い難いものだったらしいが、蚊に不人気だった私にとって二人で(死にかけながら)上ったあの尾道の坂は楽しい思い出の1つとなった。

その夜、広島に到着した私たちはタクシーでホテルへ向かった。たまたま運転手の方が元添乗員をしていた経歴の持ち主で、私達がぶらり旅初心者だと見抜いたのか、ホテルへ行く前に粋なサービスで原爆ドームを案内してくれた。
8月は終戦の鎮魂として近くの川に小さな灯籠が沢山流れていた。その灯籠は折鶴の中に青いLEDライトを入れたもので、神秘的な雰囲気だった。

友人が楽しそうに写真を撮っている背中をぼんやりと眺めていると、不意に運転手さんが「ここの土地全体は戦前と比べ1メートル程高くなったんですよ」と言った。
初めはよく分からなかったが、原爆ドームを見上げハッと気がついた。今立っている石のタイルの下には原爆で溶けた様々なモノが積もったのだ。本来の土地の上に折り重なったモノの上に私は立っていたのだ。

自覚した瞬間、地面からゾワリとしたものが上がってくるようだった。恐ろしいような、神聖なような、毛嫌いしたいような知りたいような……。小学生の頃から戦争はいけないだとか教えてもらっていたけれど、私はあの日あの時間あの瞬間に、私にとっての戦争を体験した。

友人はその話を聞かずに綺麗な写真が撮れてご満悦だったが、後でホテルで確認したらすべての写真に謎の白い球が無数に浮かんでいて、怖がりの彼女にとってはまたも良い思い出とは言い難いものとなった。
ただ思いがけない経験に二人で感謝した。ツアーや準備してたら経験できない事ばかりだね、と笑い合った。

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そんな1泊2日のぶらり旅だった。予定も準備も何もない初めての旅だった。予定が無いがゆえに焦り、ドキドキした旅だった。そして予定が無いがゆえに、のんびりと心を緩める旅だった。
その日見た夕暮れも夜空も川に浮かぶ無数の灯篭も……今でも全てが鮮明で瑞々しい。細部まで思い浮かぶ。

あれから私は心の思うまま生き始めたけれど、まだぶらり旅には出ていない。だからこそ、あの旅での出会いや風の薫りや感情、そして風景がこんなに忘れられないのだ。