かがみよかがみのエッセイを読んでいると、エッセイストの見た目に関する記事は多い。
私もその一人になろうと、何度も書いてみようと机に向かった。そして、いつも断念する。
なぜなら、私にとって体型コンプレックスは、幼少期から築き上げられた痛すぎる傷だからだ。
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私は24歳、女、大学院生。
昔から、食べることは大好きだ。
「本当、食べている時が一番幸せそうやね」
そう言いながら、私の大好物のエビフライを私に口に運んでくれる祖母の笑顔を思い出す。
大人になった今も、相変わらず食べることが大好きだ。
カフェラテとブラウニーのコンビネーションは、至福。
行きつけのパン屋さんのお兄さんは、私の好みを把握して、いつもブラウニーの端っこの部分を選んでくれる。「惚れてまうやろ〜」なんて言いながら、今も食べることは私の人生を彩っている。
しかし、その幸せには代償があるらしい。
私は幼少期からクラスで1番の肥満児だった。思い出せる一番古い記憶では、私はすでに太っていた。小学校では、肥満児だけを集めたプール教室にいつも呼び出されていた。
私は何がなんでも行きたくなくて、校内放送から聞こえてくる私の名前も無視して逃げた。
プール教室から逃げれても、子どもの世界は逃げ場がない。
思い出し始めたらキリがない程、「デブ」や「ブタ」だの私を体型を罵る無邪気な子どもの言葉が、未熟な私の幼心を傷つけた。
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しかし、傷ついた心に追い討ちをかけるかのように、私の家族は手厳しかった。
幼少期、私は優雅に踊るバレリーナに憧れ、「バレエを習いたい」と母に懇願したら、母は「その体型でレオタードはね〜。まずは痩せないと」と言った。
「年頃になったら、痩せるから大丈夫よ」とずっと言ってくれていた祖母は、年頃になった私に「痩せなさい。そんな体じゃ、みっともない」と言った。
今思えば、私を周囲から傷つけられないように、思いやって言ってくれていたのだろう。しかし、家族からの言葉がいちばん傷つくのが実際だ。
学校から家族から、英才教育かのようなコンプレックス醸成が行われた幼少期が過ぎた。
私は、中学生になれば、そんな馬鹿げたことはなくなるのだろうと考えていた。もう少し楽になると思っていた。しかし、それは、大きな間違いだった。
無邪気な子ども心を忘れた多感な思春期の青年少女は、「いじり」という名で私の体型を嘲笑することをやめなかった。
「これが人間関係ということなのか」と自分を納得させ、私も戯け続けた。中学生になっても、高校生になっても、目の前で嘲笑する彼らも私も、何にも成長していないのは明らかであった。ただ、私が心の痛点を麻痺させただけだ。
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それから大学生になった私は、アルバイトに勉強と日々の生活を忙しなく送っていると、自然と痩せた。現在は一番太っていた高校時代に比べると、20キロほど体重が落ちた。私の過去を知る人と再会すると、「痩せて、綺麗になったね」と口を揃えて言う。
「えへへ」と喜んだ風に戯けてみるが、なんとなく腑に落ちない。無責任な褒め言葉のように感じてしまう。
頼んでもいないのに、私のコンプレックスを十分過ぎるほど立派に作り上げた彼らは、手のひら返しで褒めてくれる。褒め言葉も素直に受け取れない程に、私はその痛みを抱え続けていることも知らずに。
でも、悔しいことに、そんな彼らを私は嫌いになれない。私を傷つけた家族や友だちも、どうしようもなく愛おしく大切な存在なのだ。
私は彼らのいない人生の方が、苦しいことに気づいているのだ。だから、傷ついた私の心を有耶無耶にしながら、今も私は彼らを大切にしている。
そんな私は、いつか過去の私を抱きしめながら彼らを大切にすることができる日が来るのだろうか。このエッセイが、その一歩になれば嬉しい。