からだはわたしのものなのに、なんで人目が気になるんだろう
わたしの大事なからだはわたしのものなのに、なんで人目が気になるんだろう。
あれ、本当にわたしは人目を気にしているのかな?
割と自由に、好きな服装で会社にも出社できているし、ややぽっちゃり気味な体型にうんざりしているのもわたし自身。
毎朝、奥二重を一生懸命、アイプチをつかって二重にしたり、効果はあるんだろうか?脚痩用のスパッツを履いていたり、たまにお昼を抜いて食事制限。明日から、間食抜きにします宣言。
誰かに、奥二重より二重の方が良いよ!とか、太りすぎだから痩せた方がいいね!とか、ツッコミや助言をもらったことがあるのだろうか?
わたしが太っていようが、痩せていようが、一重だろうが、二重だろうが、胸の大きいとか小さいとか、そんなことで、誰かが傷ついたり、世界が滅亡することはない。
ただ、自分をジャッジしている自分が激しく悲しんだり喜んだりするのである。
わたしが無意識のうちに、自分のからだを「かっこ悪い」ものにしていったのは、世の中のメディアであり、小学生の頃、クラスメイトの男子たちに投げられた無邪気な「ブス」という言葉だろう。
だけど彼らを恨んだり責め立てる気持ちはひとつもない。
人の判断が自分の自分へ対する判断基準へと変わり、同時にわたしも同じような基準をもって、人のからだのことに対してとやかく思いを馳せているのからだ。
イヤリングをつけて出社した夏。わたしもしていいのだよ!と許せた
26歳の夏、はじめてイヤリングを買って、耳にキラキラと揺らし、会社に出社したことがある。
それは、わたしにとって、もの凄く勇気のある行動だった。これまでの自分をブチ破る行動だったと今思う。
近頃では小学生でもメイクをしたり、イヤリング、ファッションも大人と同じように楽しんでいる。そんな時代、何を今更、大人のわたしがイヤリングをつけることに恥じらいと勇気をもっていただろうか。
それは、「昨日までイヤリングもつけていなかった子が急にイヤリングをつけてきた」と思われることが恥ずかしかったから。
なんとも、アホらしい理由である。
もちろん、イヤリングをつけて出社しても、「あら、どうしたの色気づいちゃって!」なんて言われることはありませんでした。
でも、その自分への勝手な思い込みによるギャップを取り払ったことによって、わたしは、どんどんと自由になりました。
イヤリングの次は、前髪にパーマをあててみたり、靴もヒールを履いてみたり...
イヤリングをつけて出社することは、わたしにとって、世の中の女の子たちが楽しんでいるオシャレを、わたしもしていいのだよ!とやっと許してあげることが出来た大きな出来事だったのだ。
コンプレックスや、人目が気になること。本当に他人の視線からだけ?
コンプレックスや、人目が気になることは、誰かからの心ない言葉によって、傷つき、手に入れてしまった感覚なのかもしれない。大半そうだし、本当に傷つく。簡単に人のことを傷つける言葉は嫌いです。
だけど、本当にそれは他人からだけの視線からなのだろうか。
よく人に言われます。
「痩せる、痩せるって、痩せたあと、どうするの?」
「そりゃ、痩せたら、自信がつくじゃん!」
「自信がついたらどうなるの?」
「生きやすくなる!」
そう、強く答えたわたしだが、自信をつけるがゴールなら、手段は痩せる以外にも沢山ありそうだ。
ねぇ、わたしの視線は本当にわたしのからだを良く見てくれている?
そう、いつだってわたしはここでひとりずもう。