思春期に足を踏み入れたら、胸って自動的にふくらむもんだと思っていた。パン生地みたいに、ふっくらと。けれども私の胸は、パンはパンでもナンやピザ生地ぐらいの、申し訳程度の厚みをたたえて成長を止めた。どんなに牛乳をがぶ飲みしても、こっそり揉んでみても、ふくらむことはない。
中学生を過ぎて高校生になっても、私の胸は依然ナンのまんま。友達とプールや温泉に行くのも気が進まなかった。服を脱ぐのが嫌でたまらなくて、どうかだれも私の胸を見ませんように、とひたすら祈っていた。

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どうしてこんなにちいさな胸がコンプレックスなのか。ふっくらと丸い胸に憧れていたこともあるけれど、傷つけられた経験がそれ以上に尾を引いている。
中学生の頃、男友達に貧乳とからかわれたことがある。よりによってそのとき、友達の横には私が当時好きだった男の子がいた。異性に貧乳呼ばわりをされたことも、それを好きな人が聞いていたことも悲しくて、深く心に傷を負った。貧乳だと男の子は嫌なのかな、と悩んだ。

大学生になって初めて付き合った彼氏が、大きな胸の女性がタイプだということは知っていた。なんで私を選んだんだろう、こんなに胸がぺたんこなのに。そう思った。それでも付き合ってくれたということは、受け入れてくれるかもしれない。
淡い期待を抱いて、初めてのキスをした。浅く、だんだん深く。最初は肩に置かれていた手が、少しずつ下へ伸びる。そしてブラウスの下にもぐり込む。
ドキドキした。落胆されたらどうしようと思って。ファーストキスの甘やかさなんてそこにはなくて、胸のせいで嫌われませんようにという必死な願いでいっぱいだった。
ひとしきり胸を揉み終え、唇を離した彼は、独り言のように「なんか、意外と……」と呟いた。
「意外と、なに?」
「いや……」
聞き返す私に彼は口ごもる。
「気になるよ。なに?」
「いや、思ったより胸あるな、って思って」
思ったよりってなんだ。どれだけ貧乳だと思っていたんだ。というか、思っても本人に言うな。ばかやろう。
今ならそうやって怒ることができるけど、初めての彼氏にそう言われた当時の私はひたすら落ち込んだ。服を脱いだときにやっぱりちいさかったと思われるのが怖くて、結局セックスはしないまま別れてしまった。

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そうして私はコンプレックスの化け物になった。お風呂に入るたび自分の胸を見て泣きたくなった。比喩ではなく、ほんとうに。
次に彼氏ができたらどうしよう。またセックスできないまま別れて、処女をどんどん拗らせたまま生きていくんだろうか、私は。
どうしたら胸が大きくなるんだろう、もうシリコン入れるしかないのか、と真剣に思い詰めていたとき、ネットの記事かなにかで「ボディポジティブ」という言葉を知る。
ふくよかなことで周囲の心ない言葉を浴び、痩せなければと追い詰められていた女性の話だった。しかし彼女はふくよかなことの何がいけないんだと気付いて、ふくよかな体型のまま好きなファッションをまとうことに決める。
目から鱗とはこのこと。私は「どうやったら胸が大きくなるのか」ということばかり考えすぎて、「どうやったらありのままの胸を愛せるのか」という視点が欠けていたことに初めて気が付いた。
そうか、私が受け入れれば、長年かけていたこの呪いも解ける。

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簡単なことではなかったけど、私は少しずつ、ちいさな胸を愛せるように自分に魔法をかけていった。まず「貧乳」と言うのはやめる。控えめでかわいい、コンパクトでキュートな胸。そうやって暗示をかけ続ければ、なんだかかわいく見えてきた。
それに胸がコンパクトだと、私の好きな開襟シャツや、スタイリッシュな服装がよく似合った。深いVネックもヘルシーに着こなせる。ボーイッシュな服も様になる。これは私だけの強みかもしれない。

自信がついてきた頃、年上の彼氏ができた。包容力のある彼ならば、きっと貧乳なんて言わない。大丈夫。そう思えたから身体を許したけれど、やっぱり昔のトラウマが顔を出して、下着を外す段階で「胸ないけどごめんね」と言ってしまった。
でも彼氏は優しく笑って、「なんで謝るの?こんなにきれいなのに」と私を抱きしめた。
解け切れないでいた呪いから、完全に解き放たれた瞬間だった。
散々傷ついてきた胸を、彼に愛してもらえたことで初めて、ほんとうに心から愛せるようになった。

今でもまだ、もうちょっと胸が大きければよかったなと思うこともある。だけど私はこの胸を受け入れて、向き合って、これからもずっと愛していく。決して貧しくなんてない、コンパクトでキュートな胸を。