まだコロナが世界になかったころの、夏の青春の思い出を書こうと思う。

私は吹奏楽部だった。吹奏楽部の夏といえば、コンクール。吹奏楽コンクールというのは、部員にとっては非常に熱の入る、大きなイベントだ。スポーツで言うところのインターハイみたいなもの。地区大会から全国大会まである。
本番1発勝負の数分間の曲を演奏するために、何時間も何カ月もかけて、たくさん汗を流して、時に周囲とぶつかり合いながら練習するのだ。

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私は、コンクールにあたって楽器を持ち替えることになった。
吹奏楽で楽器を持ち替えるというのは、例えるなら乗り慣れた車から別の車種に乗り換えるようなものだ。車の基本的な操作や道路標識は分かるけれど、初めは違和感があったり、細かいところで勝手が違ったりするだろう。そして乗っているうちにだんだん慣れていく。
私にとっては、楽器の持ち替えもそんな感じだった。同じ種類の楽器だったので演奏方法は分かっていたが、今まで吹いていたパートから全然違う動きをするようになり、出る音は高音から低音になり、一緒に音合わせをするメンバーが変わり、定位置の席も変わった。

そんな慣れない状況の中、私はコンクールに挑むことになった。
もともと私の学校は弱小校で、毎年地区大会止まりだった。運よくいけば県大会で銅賞、くらいの感じ。吹奏楽コンクールは1位2位などの順位づけではなく、金銀銅賞の3種類しかないので、出場すれば銅賞はもらえるのだ。つまり参加賞のようなもの。
しかしこの年は違った。講師がプロの先生に変わり、昨年までと編成を変え、コンクールの出場にも学内でオーディションが行われたのだ。講師の先生は、弱小校の私たちを本気で、上の大会まで連れていく気だった。

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夏休みの間、ほぼ毎日、日が暮れるまで練習が行われた。何十回も同じフレーズを練習し、何十回も注意され続け、曲の通し練習のたびに録音をとり、みんなで聴いては意見交換をした。部員の誰もがコンクールに向けて熱意を持っていた。
だからこそ、時に意見がぶつかったり、涙を流したりもした。それでも選抜メンバーは誰一人欠ける事なく、全員でコンクールに出場した。

その結果、地区大会で金賞、そして県大会で金賞、さらに東関東大会にまで足を進めることができた。東関東大会のときは、大型バスで遠征し、会場近くの宿に宿泊して練習をした。
ここまでくるとさすがに強豪校揃いなので、その先には行けなかったが、万年地区止まりの学校にとっては大きな快挙だった。学校でも表彰され、垂れ幕がかかった。

金賞が発表されたとき、学校で表彰されたとき、仲間で喜び合ったとき、私は何度も感動の涙を流した。ここまで頑張ってよかったなぁと、本気で思った。正直やめたくなるタイミングなんていくらでもあった。怒られた回数も数えられないくらいあった。それでも最後まで、自分の役割を全うできてよかった。このコンクールに、青春の夏を捧げることができてよかったと、今でも思っている。