断捨離をした。
可愛らしいけど収容力のない鞄も、憧れて買ったけど、あまり着なかったオーバーオールも、ひらひらのワンピースも、全部売った。8〜9センチもあるヒールの靴は、特別な時用の一足を残し、全部処分した。どれも履き潰されていて、売れるほどきれいな状態ではなかった。友人だった人たちからもらったものは、多少使っていたって手放した。もういらない。

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私の友人にAがいた。Aは発言力があり、目立つ存在で、センスが良くて、一目置かれるところもあったと思う。そんなAは、いつも話の中心だったし、そうではないことを許せなかったから、Aのわからない話で皆が盛り上がると、話を止めた。私はAとは長い付き合いだったから、そのままにしていたけれど、そんなAからは少しずつ人が離れていった。

それでも顔が広いAは、趣味を通じて、どんどん新しい人と知り合う。しかしだんだん、ちょっと怪しい人も増えてきて、心配になった。警察の厄介になることなんて、普通そうそうないはずだ。自身が警察のお世話になるようになった頃には、もう呆れた。

だんだん私も、Aを面倒だと思うようになった。
Aは自分のことしか考えていない。自分が一番じゃなきゃ気が済まない。自分より優れている人も、自分を構わない人も、気に入らないから悪く言う。私たちだって例外じゃない。年を経るにつれ、それはひどくなった。

若い女の子なら、それだけでちやほやされることは多い。私の周りには、それでも厳しくしてくれる人たちがいたから良かったけれど、Aはどうやら、そうではなかったらしい。
いずれ衰えていくもの頼みで生きていたら、どこかに歪みが出るし、ちやほやしてくれる人しか相手にしなかったら、同性との関わりも難しくなってくる。Aの周りの人たちは、友人と言いつつ、取り巻きのようだった。

私は彼女らほどAを持ち上げなかったから、そういう話には、私だけ置いて行かれた。既にAにとって私は、気に入らない存在だったのかもしれない。

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ある日の喧嘩を機に、私はAとの関わりを絶った。Aに彼氏のことを悪く言われたのだ。頭に血が上ったものの、努めて冷静に、「絶対に別れることはないし、変わることもない」と言うにとどめた。

しかし、「そんな人はおかしいから別れろ」とか、「最近何か変なのは、その男のせいだ」とも言われた。私は一歩も譲ることはなかった。両親が、彼と付き合ってからの私の変化を見ていたことを理由に、拍子抜けするほどあっさり彼のことを受け入れたのだ。以前より、女性らしく、明るく、意思が強くなった私を見て、恩師には涙ぐむ人もいた。

私自身にとっては間違いなく良い変化だが、彼女らにとっては、都合の悪い変化だったようだ。自分の意思で動くようになり、とうとう彼女らの悪口大会にしびれをきらし、言われる側を擁護し、一体何様のつもりだと、はっきり言わないまでも苦言を呈した私は、彼女らにとっては変だった。それが常識だとは認めず、変なものにしておきたかったのかもしれない。

Aは、最後まで何も聞き入れなかった私を置いて、「じゃあね、バイバイ」と言って車に乗り込んだ。他の人たちも皆、Aについて出て行った。誰も「またね」とは言わなかったのは、つまりそういうことだ。清々した。しかしそう思ったのは、私だけだったらしい。

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久々に再会したAは、正直劣化したなと思った。明るいカラーで傷んだ髪は汚く、濃い化粧は似合っていなくて、下品に見えた。たまたま居合わせた私は、声をかけられたものの、できるだけ関わらないよう、会話も聞かないようにしていたが、同じ場所にいた友人の顔は曇っていた。後日、この件について友人に謝られた。何もできなかったことに対してだろう。友人は何も悪くないのに。

後で聞いたことだが、Aの考えは相変わらずで、そのうち私が帰ってくると思っているらしい。それを聞かずに済んだのは、友人の配慮があったからだ。それがなかったら、私はAに掴みかかっていたかもしれない。厳しい反論ができなかったことを悔いてくれたのかもしれないが、充分だった。

Aは構われないことが耐えられない。構われないと、体調まで悪くなる。演技には見えなかった。それが余計厄介だったし、可哀想に見えた。こんなに弱い人だったんだと、初めて知ったし、だからこんなに虚勢を張って、周りを攻撃していたんだ。本当に哀れだった。

そういえば、Aの仲間の一人からしきりに「寂しい」と言われた。置いて行かれる感じだったらしい。彼女らとは違い、女を武器に生きることが許されなかった私は、いつまでも甘えたことを言ってはいられなかった。日々叱られて、それを受け止め、成長するしかなかった。結構厳しいことも言われたけれど、言葉の裏には、親心のようなものもあることは分かっていた。

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見た目なんか着飾っても目もくれず、むしろ「こういう場所には適さない」と叱ってくれる人がいなければ、自分のための、場所を選んだおしゃれもできなかっただろうし、それが出来ていたから、その時履いていたヒールやミニスカートを、躊躇なく手放せた。そういう、本当に自分を大事にしてくれる人たちの場所を選べなかったのは、彼女らの落ち度だ。向き合う勇気がなかったとも言える。

しかし私も、他の友人からAのことを聞かれ、もやもやするものがありつつ、友達だと答えたのはよくなかった。この時、正直に答えていれば、その友人と親しくできていたかもしれない。私もまた、本当に自分を大事にしてくれる人たちの場所を選べていなかった。否定する勇気がなかった。

私は今、変化の時を迎えている。だからいらないものは片付ける。Aのものは、どんなに便利でもいらない。きれいなばっかりで使いにくい鞄も、かわいすぎるシースルーの服も、もういらないのだ。
残した本革のブーツは、長年使っているが、まだまだ現役だ。派手さはなくても、素材で勝負している潔さがある。私はこういうものと生きることに決めた。
人も物も、お互いをケアしながら、末永くお付き合いしたい。