多かったのは女性の容姿の悪口。選ぶ立場だと思い込んでいた

私にとって、セクハラ、男尊女卑、ルッキズムはとても身近な問題である。
その人は、仲の良い女友達の顔を「悪人面」だと笑いながらバカにした。
その人は、テレビで一生懸命に演技をする女優に対して「こいつブスだな」と言ってリモコンを放り投げた。
その人は私に対して風呂場をのぞいたり、「男はもう少し乳が小さい方が好きなんだよ、乳牛みたいで気持ち悪い」「足がムチムチしていていいね」と気持ち悪い言葉を投げかけた。
そして、私が最も苦しかったのは、その言葉は父親からの言葉であったことだ。

父の趣味は人の悪口である。ところ構わず誰かの悪口を言い続けた。
テレビに映っている人、ネットニュースになっている人に限らず、通りすがりの人の悪口もよく言っていた。人の悪口のネタが無くなれば今度は、外国人や障害者などマイノリティの立場の人達の悪口を言っていた。そして、圧倒的に多かったのは女性の容姿の悪口だった。
父は「自分が女性を選ぶ立場」だと思い込み、一人一人悪口をぶつけていった。
私は自分の容姿がきっかけでいじめられた経験があったため、その行為はとても許せなかった。と同時に、父は気に入らないことがあったり家族が自分の思い通りにならなければ暴言や暴力を振るう人だった。だから、どうしても言い出せなかった。あの時までは。

いじめられてきた自分と、馬鹿にされた女の子を重ね合わせた

ある日、地元のネットニュースで、とある小さい女の子の写真が出てきた。満面の笑みでにこにこしている子どもの写真だ。その写真に向かって父は、「こいつ、宇宙人みたいな顔で気持ち悪いな」と、指をさして馬鹿にした。私は絶句した。そして、かつていじめられてきた自分と、馬鹿にされた女の子を重ね合わせた。
容姿の悪口は一生残る。たとえどんなに努力しても。どんなに肯定的な言葉をかけられても。私はついに堪忍袋の緒が切れた。
「何でそのようなことを言うのか?」
「人の顔にそのような事を言うのは、あまりにも酷すぎないか?」

その後の記憶では、父は逆ギレして大声で何か怒鳴りつけてきた。私はとにかく聞き流すことで精一杯で父が静かになった途端、車に乗って外出した。
父が暴言を吐きながら追いかけてきた。私は車に乗って鍵をかけて、とにかく車を飛ばす。心の中で「私は正しいことをした」「私は過去の私を守った」と誇らしくなったと同時に、父のあまりのおかしさに涙が出てきた。こんな酷い父親を、家族も社会もなあなあで許していたのか。

そして、もしこれが面と向かって言われていたらどうすれば良かったのか。これまで父のこのような発言で傷ついてきた人はいっぱいいるのではないか。
専門家によれば、私がこれまで受けてきた行為は心理的虐待・性的虐待に該当するらしい。
現在の私は、なるべく父親と関わらないようにしている。いざと言う時には自治体や警察に助けが呼べるようになった。

心身の危険を感じたら、その人物とは距離を置いて欲しい

私がこのエッセイを読んでいる皆に伝えたいことは、セクハラ、男尊女卑、ルッキズムの考えを持つ人は、意外と身近に潜んでいるかもしれないということ。そして、自分自身が搾取される立場になっているかもしれないということである。
もし、心身の危険を感じたら、その人物とはとにかく距離を置いて欲しい。避けて欲しい。逃げて欲しい。私は自治体に頼って、何とか完全に自立できるよう模索している。

やり方は人それぞれだが、とにかく1人で抱え込まないで欲しい。そして、それは親子だからといっても関係ない。自分は誰にだって傷つけられて良い存在ではないのだから。
親子の愛情が絶対という考えを持つ方が時たま見られるが、決してそうではない。自分がボロボロになるまで傷つけられても親子の愛情についてしつこく説く人は、はっきり言って異常だ。そのような考えの人はぜひ虐待のニュースを何百回も見て出直して欲しい。
自分の心身を真っ先に守れるのは自分だ。