閉鎖病棟の夜は長い。入院10日目、消灯しても寝つきが悪かった私はTwitterを覗いていた。スクロールしていると、「#わたしを作った少女マンガ5冊」というハッシュタグが伸びている。このハッシュタグには、本やマンガを読むことが大好きな私も、一家言ある。真っ暗な病室で過去に読んだ少女マンガを思い起こし始める。

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少女マンガ界の大河、「ガラスの仮面」はまず外せない。出会う時期が早ければ、文筆家ではなく、演劇を志していたかもしれないほど、夢中になった。はまった熱量でいうと、田村由美さんの「BASARA」もあげられる。夢と恋愛と自己実現でゆれる「NANA」の主人公たちのセリフは、読みながらメモを取るほどだった。「のだめカンタービレ」はマンガだけでなく、ドラマや映画を含めて名作だ。

あともう一作は、定番中の定番、王道だけど神尾葉子さんの「花より男子」か?
でも同じ作者の作品なら「キャットストリート」、そう、「キャットストリート」だ!確実に今の私を作った、私の一部。

その「キャットストリート」に出会い読んでいたのは、10年前。Twitterを片手に、そのストーリーを思い返していると、私自身も10年前もの過去へ引き戻されていった。

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10年前の18歳、浪人生だった私は双極性障害Ⅰ型を発症した。それまでの私は人生の、いうならば「勝ち組」であった。
東大や医学部に当然入るのだろうと周囲から思われていた小学生時代。
学年1位こそ取れなかったものの、勉強も部活も両立させていた中学生時代。
行事や部活、郊外活動にのめりこんでいたため、定期テストの結果は良くなかったものの、外部の学力テストでは学年1位を取った高校生時代。
いつしか私は、自分は普通以上の人間に、「特別」な何かになるものだという根拠なき自信に満ち溢れていた。

そんな私が発症した双極性障害とは、気分が落ち込む鬱状態と、気分が異常に高揚し自信過剰・高圧的になり過活動となる躁状態を繰り返す病気だ。
まるでジェットコースターのように気分が変わっていく。その、自分ではコントロールできない気分の波に、私は翻弄された。

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鬱状態では、まず朝ベッドから起き上がれなくなった。知人に会うことが怖くなり外出できなくなった。歯を磨く元気すらなくなった。身体がだるすぎてお風呂に入ることができなくなった。みんなに悪口を言われているのでは、とSNSを覗くことができなくなった。あんなに好きだった本を読むことも、文字が目をすべりまったく頭に入ってこなくなった。

浪人の勉強は全くできず、大学生になるどころか、かつて将来を渇望された私は、引きこもりニートとなった。東大や医学部なんて夢のまた夢。「特別」になりたかった私は、朝ベッドから起き上がって生活する、という「普通」のことすらできなくなっていた。
「天才」だったはずの私が「普通以下」になった。初めての、挫折だった。

この挫折により、私は初めて自分のプライドがこんなにも高かったことに気が付いた。そしてそれに気が付いたときには、そのプライドは高所から低き地面へ叩きつけられ、粉々となっていた。
私の人生終わった。
18歳。だけど、これからはもう余生だ、と強く思った。
そんな時に、マンガなら読めそうと思い図書館で出会ったのが、神尾葉子さんの「キャットストリート」だった。

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主人公は青山恵都、通称ケイト、16歳。彼女は、子役として「天才」の呼び名をほしいままにした。しかし9歳のとき、唯一の友人に裏切られたことをきっかけに、舞台本番3千人の観客を前に、演技もせず喋りもせず、ただただ立ちつくす、という大失敗を犯す。
そこからケイトはひとり、部屋に引きこもる。それも実に7年間。そんなケイトがたまたま街中でフリースクールの校長と出逢い、フリースクールに通い始めるところから、ケイトたちの人生を取り戻すこの物語は始まる。

そもそもある人の失敗や挫折の質や量を、他の人のそれと比べること自体無理なことなのかもしれない。でもケイトの失敗や挫折と比べたら、私のものなど軽いもののように感じた。
でも、16歳のケイトは物語序盤で「今のあたしは余生を送っている」と言う。
18歳の私も、まさに同じことを思っていた。

ケイトがフリースクールに通うようになり、徐々に鎖国状態であった7年間を経て、様々な人とつながり始める。人と触れ合うようになり、片思いをしそして失恋し泣くケイトを、ある友人が抱きしめる。そしてこう言ったのだ。「大丈夫!できるって!人間は再生するんだって」と。

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この言葉はケイトと同じように余生を送っていた私に言われたような気がした。
人間は再生するんだって。挫折の中の、光など一切見えなかった私。でもこの言葉を聴いて、本当は「また再生して人生やりなおしたい」という気持ちを持っていることに気が付いた。自分がまだそんな意欲を抱いていることにびっくりした。

キャットストリートは全8巻。速読な私が夢中に読んでいると、読み始めは夜中だったのに、読み終える頃には空が白み始めていた。私もケイトのように、再生したい。人生を取り戻したい。その気持ちは明け方の空のように澄んでいた。

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ここで10年後の現在の私に戻る。大学になんとか入学し、それ以上になんとか卒業し、その上をいくなんとかで障がい者採用枠で就職したものの、一年で体調を崩し休職し入院している10年後の私。現状はなかなか悲惨だ。

でもあの時のように、そしてケイトのように「余生」を送っているとはもう思わない。だってこの10年間で何度も再生を経てきたのだから。
それでもやっぱり、正直今ちょっと不安だから。もう一度「キャットストリート」を読み返す。10年ぶりのケイトは、あの時と同じように再生していった。

ケイト、10年前の私に出会ってくれてありがとう。
そしてケイト、10年後の私に再び出会ってくれてありがとう。

普通になるのはなかなか難しいけれど。私また頑張るよ。もうしばらくよろしくね。