ドク、ドクと心臓が早鐘を打つ。扉をノックしようと上げた手が震える。
社用バッグの中のスマートフォンで録音アプリを起動し、私は応接室の扉を叩いた。
静にか、穏便に。どんなに止められても退職の決意は揺るがない
あれは4年前。前職の販売職を辞める決断をした時のこと。
皆から怖いと恐れられていた、ザ・キャリアウーマンの人事部長はピシャリと言い放った。
「ここで辞める決断をするなんて、貴方はどこに行っても通用しないわよ」
負けてはいけない。売り言葉に買い言葉でことを荒げてもいけない。私は穏便に退職したいだけで、人事部長に強い言葉で止められたとしてもその決意は揺るがない。
「そうかもしれませんが、体調を崩している今、皆さんにも迷惑になりますので辞めさせていただきたいんです」
努めて、静かに、いかにも申し訳なさそうな声でそう返した。
「休職では駄目なの?他にも休職して戻ってきて活躍している社員はたくさんいるわ」
新卒に3年経たずに辞められては、会社の面子にも響くのだろう。私が辞めたいと思う本当の理由を聞こうともせず、ただ退職者を出したくない人事部長の思惑がストレートに伝わってきた。
「休職も検討しましたが、ここ1〜2ヶ月、有給や欠勤でお休みをいただき、会社に属していながら休んでいることの罪悪感が強いため療養にならないと思っての決断です」
そう、適応障害と診断され、1ヶ月以上会社を休ませてもらっていた間、私は常に仕事をしていない自分を心苦しく感じていた。とてもじゃないが心が休まる時間はなかった。
その適応障害が実は双極性障害のうつ状態であり、この症状とは職場を離れてからも付き合わなくてはならなかったのはまた別の話。
あの時決断できたから、今少しずつでも前に進めていると思える
人事部長との面談が終わり、応接室を出た後、スマートフォンアプリの録音を止めた。
表示された1時間6分、私は人事部長からの引き止めに耐え続け、退職の手続きを進めてもらえることになった。
あの時の退職の決断があったから、今少しずつでも前に進めていると思えることもあった。
それは新しい職場と働き方との出会い、そして辞めた後、一歩引いた立場から前職の上司たちと関わる機会があったことだ。
現在勤めている新しい職場も、決してホワイトとは言い難く、毎月退職者が出ているのを横目で見ている状態だ。私も入社時の正社員という雇用形態から、途中でアルバイトに転換し、働き方を変えた。
しかし、この職場は社員が同じ店舗に集まって働くことが少ない。私が入社した当初は、私一人で一つの地方を担当していたくらいだ。
必然的に社員のコミュニケーションはチャットやメールになり、上司とのミーティングさえ電話やオンラインである。
この、人との距離感がある状態が、私にとって居心地の良い環境だと初めてわかった。
合う環境は違うから、自分と会社ですり合わせが大事
そして前職の上司たちとたまに顔を合わせると、その距離感の近さに圧倒される。プライベートなことを何でもオープンにし、たくさん世話を焼いてくれて、小さなことにも反応を返してくれる。
この面倒見の良さが心地良い人も多くいるだろう。ただ、私が違っただけ。
私はかえって萎縮してしまい、どのように話したらいいかわからなくなり、しどろもどろになってしまう。そしてそんな自分に、なぜこんなにもコミュニケーションが取れないのかと失望してきた。
人それぞれ、合う環境は異なるのだということを心から実感した。就活の自己分析や説明会ではわからなかった、自分の特性と会社の特性の擦り合わせがこんなにも大切なのだと、改めて納得したものだ。
今いる場所が辛いなら、他に貴方に合う場所はきっとあるはず。この場所から抜け出すことはとても勇気がいることで、1つの闘いのようだけれども、自分と向き合い、理解を深めながら、自分が自分でいられる場所を探し求め続けるのも人生かもしれない。