私にはどうしても忘れられない街がある。
それもふたつだ。このふたつの"まち"は全く逆の"まち"で、このふたつの"まち"で過ごした事はとても良い経験になっている、と自負している。

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そのうちのひとつは進学で出たとある都会の"街"。
この都会の街は、首都圏から言わせてみれば"大都会"ではなかったものの、私の生まれ育った県では体験し得ないものがとても沢山あった。だから、私からしてみればここは"大都会"そのものだった。
たった2年間しか居られなかったこの街には、それはとても沢山の、色んな店やものがあった。
今までの人生で一度も見たことのないファストフード店、自分の住んでいた県から無くなっていたが故に、もうないのだと認識していた懐かしい大好きな雑貨屋、とても大きなショッピングモールに、発達した公共交通機関。
中でも驚いたのは、市内各所にあるカフェの多さと、駅周辺だけでほぼ丸一日遊べる事だった。
私の生まれ育った県では、県庁所在地のある場所でさえ駅周辺で丸一日遊ぶことなんてできない。せいぜい30分が限度だろう。これは「自分の中の当たり前」が覆された瞬間だった。

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駅の中にあるビルの雑貨屋やコンビニにふらっと立ち寄り、時間を潰したあの日。
持ち帰り専門のスイーツの店で持ち帰りのスイーツを買うなど、時折贅沢もした。
そんな中でも、色々なカフェでゆっくりしたひとときは、どうしても忘れられない。ひとりで、時には友達と美味しいパフェやランチをゆっくりと気の向くまま楽しむことができた。

実は、公共交通機関の発達でさえ、私には驚きの連続だった。この県では、待っていれば公共交通機関が二十分程度に必ず一本やってくる。遅いと言われている公共交通機関でさえ、大体三十分程度だ。
私の出身の県は一時間に一本あるかないかだったから、色んなところに公共交通機関で行ける事を体験しつつも羨ましくも思った。出身の県は自家用車を使った方が行き帰りが自由で早かったため、電車やバスを使うと観光地で時間を気にせず自由に楽しむことができないから、時間を気にせず気の向くまま楽しめた事が今も心に残っている。
そんな驚きや感動が沢山あった大都会の"街"での生活を終え、いよいよ就職するためにもうひとつのまちを訪れる事になった。

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もうひとつの"まち"は、都会の"街"に反して、何もない"町"……いや、村と言った方が良いのかもしれない。それほど田舎だった。
なぜここに来ることにしたのか。仕事がこの土地に住む事が条件だったのもあるが、自分の自宅も田舎で、田舎に慣れていたからこそ、ここで生活できるだろうとも思っていたからだった。
この"町"は自分の出身の場所よりも更に不便なものの、田舎でしか見れないものを見て、体験する事ができた。
夏の夜の川に舞い踊る見たことのないほどの沢山の蛍、水が綺麗すぎて濁りが一切ない透明な川、沢山のあまり見たことのない珍しい生き物達。地域の人のあたたかさも心地よく、そこが生活を営む上での救いになっていたものの、この町で初めての一人暮らしをしたために身体が追いつかず、ここには結局一年もいることが出来なかった。

私が経験したふたつの"まち"は両極端で全く逆だった。でも、そのふたつの"まち"で体験したことの全てが今の私を形作っている。
辛いことや苦しいこと、楽しいことや喜ばしいことも沢山あった。今はもう故郷に戻っているが、いつかまた、世界が落ち着いた時に、またもう一度、いや、きっと何度でもこのふたつの"まち"に足を運べれば、と願ってやまない。