私は「ありがとう」を伝えたい人がいる。私の推しだ。
歌や演技やライブやイベントで輝かしい活躍を見せ、毎週のようにある生配信でファンとの交流も欠かさない私の推し。
そんな私の推しは8年もニートだった私の人生を変えてくれた。
推し活費のために働くことができたのだ。
そして、推し活でいろんなことを学んだことが、今ライター活動にも役立っている。
推し活でどんな風にQOLを向上させたかとか、推し活でのお役立ち情報とかを書くようになった。とにかく私の人生は好転した。
それもこれも全部推しのおかげ。だからありがとうを伝えたい。
なんで伝えないんだ、ファンレターとか近頃はSNSとかもあるやろと思っている方もいると思う。
いや「ありがとう」は伝えている。でも伝えられていない。

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どういうことか。
私はファンレターではいつも「推しが支えになっています〜ありがとう」みたいなことは、書いている。SNSでも「イベント楽しかったです、素敵な時間をありがとうございました」みたいなリプを送っている。他にも「コメント読んでいただきありがとうございました」「ファンサしていただきありがとうございました」みたいな。

そう、感謝の気持ちはいくらでも述べているのだが、この「8年ニートだったけどあなたのおかげで私変われたんだ」というクソデカ感情のありがとうは伝えられていない!!!

「推しが支えになっています〜」にはそういう意味も含まれているかもしれないが、サラッと書いているし、前後に「毎日が楽しいです〜」「頑張れました〜」みたいなふわふわしたことしか書いていない。
普段エッセイで推しの名前は出さずとも「こういうところで私の心に刺さって、私のメンタルを支えてくれて」と事細かく、論文のように長ったらしくラブレターのようなものを書いているというのに。
SNSは他のファンも見るから「え、なにこいつ」って思われるかもしれないけど、手紙なら推し以外(多分)見ないんだから書けよ!クソデカ感情の激重ありがとうを伝えろよ!と自分に思う。
それでもこの前は推しへのファンレターで気づいたら、推しが出演している作品の考察をかいて送っていた。なんでやねん。まとめサイトを推しのファンレターでするな。

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なぜ毎回ファンレターでも伝えたい「ありがとう」を、伝えられる環境なのに伝えないんだろうと思ったのだが、理由は主に二つあると自分で分析した。
一つ目は恥ずかしいから。まあこれはわかる。元々とはいえ8年ニートっていうのはちょっと恥ずかしい。でも推しはみんなに優しいスーパーアイドルだと思うので、そこで差別するようなことは表立ってはしてこないと思う。
また、感謝の言葉を心の底から伝えることも、本当にハッピーなことなのに「これでええんやろうか」と不安になるくらい、照れる。でもテキスト上で伝えられるのだから、そこは問題視しなくていいと思うのだが。
感謝を伝えることを阻むのは、二つ目の理由がすごく大きい。
二つ目は、私がメンヘラだから。いやいや推しによって人生良くなったんちゃうんかい。
そう、よくはなったが、やはり元々の性格は治らないし、推しのことになると極端にネガティブになってしまう。なんの根拠もないのに「どうせ」みたいに勝手に沈んでしまうのだ。普段は「メンヘラ」と呼ばれるような生活もしていないというのに。

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「こんな風に変われたんだよ」と意気揚々と言っても「……で?」と思われてしまいそうでめちゃくちゃ怖いのだ。推しがなにを思うかなんて自由だし、ファンレターでの自分語りなんて、言ってしまえば「で?」な内容ばかりだと思うんだが、内容がちょっと重たいだけに躊躇う。
「知らん身の上話聞かされて、時間無駄にしたなあ」なんて思わせてしまったら本当に申し訳ない。推しの貴重な時間をファンのために割いててくれたのに不快にさせてしまったら最悪だ。なんて、もうグルグルしてしまう。
ここだけ聞くと私の推しが性格悪いみたいなイメージになってしまうが、100パーセント私の妄想だ。

自分を分析して尚のこと思った。推しにクソデカ感情の方の「ありがとう」もちゃんと伝えよう。

「ありがとう」を伝えられていない理由はしっかりしているけど、正直やらない言い訳を並べてるだけじゃん。
普段あんなに「やらない言い訳は作りたくない!もうニートじゃないもん!」と息巻いてビックマウスなくせに、めちゃくちゃ言い訳してるやん。

「推しは推せるときに推す」が鉄則のように、推しにクソデカありがとうを伝えられる今、伝えよう。