祖父の葬儀の日、私は泣かなかった。
というより、泣けなかった。
もっと正確に言うと、泣きたくない気持ちにさせられてしまった。
人生で初めて参加した葬儀が、びっくりするほどナンセンスだったから。

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祖父は、小さい頃から孫の私を可愛がってくれた。
年に二回の帰省と、月一回程度の電話で近況を話すたびに、うんうん、と穏やかに相槌を打ちながら聞いてくれた。
優しくて物静かで、ちょっとお茶目な祖父だった。
成人してからも祖父母は四人とも健在で、親族にも不幸はなく、葬儀に参列した経験が無かった。

だから、祖父が亡くなったという報せを受けた時はてんやわんやだった。
喪服を新しく買い、靴やカバンがないと騒ぎ、実家の物置から数珠を引っ張り出した。両親も喪主を務めた経験はなく、慣れないことだらけで焦った気持ちのまま、慌ただしく帰省した。

祖父は晩年施設にいたため、顔をあわせるのも久しぶりで、祖父が亡くなったという実感はなかなか湧かなかった。遺された祖母の落ち込みようを見ていると、なおさら自分はしっかりしていなければいけない気がして、準備の間は悲しむ余裕がなかった。

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そして、いよいよ葬儀の当日。
ほとんど会ったこともない親戚や町の人に挨拶し、走り回りたがる従弟の子どもをなだめ、長い長いお焼香を終えて、いよいよ出棺という時。
「あ、今だな」と感じた。
心の中で祖父とお別れして、祖父が亡くなったのだという事実を飲み込むならこのタイミングだ、と。
それまで涙が出なかった私も、棺に綺麗な花を入れて、祖父の顔を正面から見れば、ちゃんと実感が持てる気がした。

次の瞬間、ものすごく壮大なオーケストラの曲が部屋全体に響き渡った。
つい、ポカンとしてしまった。
弦楽器の重低音が効いた、荘厳で美しい音楽。知らない歌手によるソプラノの歌声。お別れを促す、葬儀場のスタッフの厳かな声。色彩豊かな花々に囲まれた祖父の遺体と、その祖父を取り囲む私たち。
「さあ泣いてください」と言わんばかりのシチュエーションに、思わず涙が引っ込んだ。
引いてしまったのだ。あまりのわざとらしさと白々しさに。

あとから調べたところ、葬儀中や出棺時の音楽は故人や遺族が選ぶこともできたらしい。
祖父の好きだった曲や聴き慣れたクラシック音楽を選んでいたら、こんな気持ちにはならなかったかもしれない。
葬儀場のチョイスと思われるその時流れた音楽は、いかにも「涙を誘う感動シーン」という演出が強すぎるように感じた。

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葬儀中に泣かなかった理由はもう一つある。
雰囲気に流されて、安易に泣いてしまうのが嫌だったのだ。

祖父のことは好きだったけれど、ここ数年は認知症の気が強く、支離滅裂なことを言ったり突然暴れだしたりと、以前の姿からは想像できない祖父の状態を両親から聞いていた。祖父とずっと仲が良かった祖母も、振り回されるのに疲れたとこぼすようになっていた。

会いに行くこともできず、電話やビデオ通話をする機会もなく、他の人の言葉からしか様子を知ることができなかった。
いや、知る努力を怠ったのだ。
優しく穏やかだった祖父の姿だけを記憶していたくて、わざと深追いしようとしなかった。

耳を塞いで目を瞑って、晩年の祖父の姿から逃げてきたのに、セレモニーの雰囲気に乗っかって涙を流すなんて、あまりにも自分勝手な気がした。
結局、田舎に帰省している間、私は一度も泣くことはなかった。

今になって思い出すのは、祖父の訃報を受け取った日の朝のことだ。
恋人に祖父が亡くなったことを伝えたあと、じゃがいものパンケーキを焼いて、二人で分け合って食べた。じゃがいもの甘みとしょっぱみがいつもより際立って、おいしくて幸せな時間だった。
「おいしいね」と声を交わしながら、大切な人と一緒に朝食をとった、あの瞬間に、私は祖父とお別れしていたんだ。

そのことに思い至って、初めて少し涙が出た。