一昨年の秋、祖父が亡くなった。肺気腫という病気だった。祖父は、畑仕事が大好きで、晩年の夏まで畑仕事に精を出していた。
私が祖父の病気について詳しく知ったのは、祖父が亡くなる年の初夏のことだった。なんで早く教えてくれなかったんだ。そう私が声を荒らげると、母が私に心配させたくなかったから言えなかった、とそっと呟いた。

私たち家族をいつも助けてくれていた祖父が、大好きだった

晩年のお盆休み、私は帰省し、祖父と一緒に畑仕事をした。太陽の光をたっぷり浴びたトウモロコシは、生命力に溢れていた。医者に市販薬は飲んではいけないと言われていた祖父だが、気分が悪いといって周囲の反対を押し切り、飲んでいた。辛そうだった。でも、その時はもっとずっと私たちと一緒にいてくれると思っていた。
晩年の秋、祖父の容態の悪化と共に野分が襲い、祖父がいなくなってしまうのではないかという恐怖心を加速させた。1週間後、綺麗な秋晴れの空の下で祖父は静かに息を引き取った。

私は、昔から甘え上手な姉がいたこともあり、上手に祖父母に甘えることができなかった。祖父母の家に遊びに行っても、1人でいることが多く、甘えられないことが分かっていたから、一人で留守番をしていることも多かった。それでも、私は亡くなった祖父のことが大好きだった。私たち家族のことをいつも助けてくれていたから。

どうしても謝りたいことが…

おじいちゃん、あなたはいつも愛車の軽トラックに乗って、私たちのために祖母が作った料理や沢山のお米を届けに来てくれていたね。庭の芝も刈ってくれたよね。その後、お煎餅を食べながら相撲や水戸黄門を見ているなんてことが日常茶飯事だったよね。懐かしいな。
私はそんなあなたにどうしても謝りたいことがあるんだ。
ある夏の夕暮れ時、私が1人留守番をしている時に、あなたの軽トラックが駐車場に停車する音が聞こえたんだ。
「あ、来た」 
そう思ったが、その時、思春期だった私は、祖父と話をすることを面倒に感じていた。正確に言えば、祖父だけではなく、家族と会話するのさえ億劫だった。家族と会話するよりYouTubeをみていた方がよっぽど楽しい。その時は本当にそう思っていた。早く帰って欲しいなんて、そんな酷いことまで思っていた。

あなたの優しさに甘えてたよ、大好きだったよ

祖父が亡くなった時、私はふと、この時の風の匂いや風景がフラッシュバックした。当時感じていた僅かな後ろめたささえも。
祖父のお葬式。式場の方達が気を利かせて、私達兄妹、そして従兄弟の計7人の孫達が、1人ずつ祖父の遺影を前に別れの言葉を述べるという時間を設けてくれた。
私はこの時、祖父に対する今までの感謝の気持ちしか伝えることができなかった。兄は、幼い頃に祖父が買ってくれたおもちゃに対して、これが欲しかったんじゃない!と怒ってしまったことについて、後悔している、ごめんなさいと泣きながら謝っていた。私はそんな兄を見て強いなと思った。普段泣かない兄の目には涙が浮かんでいたが、心なしか表情が晴れやかに見えた。

おじいちゃん、あなたが亡くなった今でも、家の中から窓を覗くと、まだ貴方が庭の芝をビーバーで刈っている音が聞こえてくるような、そんな気がするんだよ。あの時、「今日も来てくれたんだね」ってどうして出迎えなかったんだろう。ごめんなさい。
あなたの優しさに甘えてたよ、大好きだったよ。
私は弱い人間だから、ここじゃないと言えないんだ。許してなんて言わないよ。
ごめんなさい。